麻雀のはなし

コロナ禍で映画やドラマの撮影が難航する中、脚本の差し戻しや制作の見直しが行われることが増えてきた。

良く言えば改善する機会を得たとも言えるし、悪く言えば惰性で供給されていたような作品の体のいいリストラが敢行されつつある。

「感染拡大のリスクを負ってまで作る作品か」と問われれば、胸を張って「そうだ」と言える監督など存在しないのではないか。とはいえ現場は働かなければ給料は貰えないし、委員会は集めたお金を回収しなければならない。

ある意味ではコロナのおかげで本来発生しなかった仕事をさせてもらっているが、一方で都合の良い言い訳や「おまじない」ぐらいにしか機能していないような気分もある。

そんなこんなで、変わらず映画に密接した仕事を継続しているにも関わらず、新しい映画はそれほど発掘していない。レビューを書くなどもってのほかである。

何なら『アルマゲドン』とか見たいなぁとか考えているくらいである。

 

最近のライフワークは、もっぱら麻雀ゲームの『雀魂』でコツコツ段位戦をこなすくらい。(youtubeで動画を見ながら)

意外と頻繁にイベントを開催しているので、デイリーやイベントの報酬目当てに対局するうち、いつの間にか人口が激増しているので、ちょっと欲が出たというのが本音。

チ〇ポにゃ!でお馴染みの主人公。・・・主人公なのか?

 

kiryuanzu.hatenablog.com

 

麻雀人口や雀魂ユーザーが増えている、というのはゲーム内でも体感できるが、youtubeの動画を見ていても特に実感する。

Mリーグの運営やファンによる試合の切り抜き動画の数や、youtube(含Vtuber)の実況動画の数を見ても明らかで、コメント欄を覗けば明らかな初心者まで楽しそうに感想を書いている。

10年以上前に『天鳳』がにわかに流行し、ピアキャスでの配信にのめり込んでいた当時の空気よりも、さらに裾野を広げている。

特に中国人の流入が凄まじく、今では対局相手の3人のうち1人は中国人っぽいプレイヤーネームの人がいる。(3人とも中国人も珍しくない。)

麻雀のプロ団体が日本式麻雀を普及するべく奮闘していた時期もあったが、そんな努力もどこ吹く風といった様相で、定着しつつあるのかもしれない。

個人的には日本式麻雀のほうが戦術的で奥深いと思うので嬉しい限り。その分難しさもあるのだけれど。

 

1日1TOPを目安に、1~3半荘打ってやっとここまで。雀傑まではあっという間だったんですけどね。

 

『雀魂』の段位システムについて解説。

初心者→雀士→雀傑→雀豪→雀聖→魂天の順に昇段していき、魂天を除く5ランクはそれぞれさらに1~3に分類されます。初心者1から初心者3まで上げて、昇段すれば雀士1といった具合ですね。*1

私は雀豪2なので、あと2回昇段すれば雀聖になれるわけです。ちなみに魂天はちょっと特殊な位置なので雀聖まで行ければ事実上のトップティアと言っていいと思います。

ちなみに魂天は大体100人くらい、雀聖は1~3まで含めて合計3000人程度だそうです。

 

成績の見方ですが、もちろん1位率が高ければ高いほど優秀な成績になります。とはいえ運の要素が多分に絡む麻雀において、コンスタントに1位を取るのは難しいので、平均順位が2.4を切っていれば「なかなか強いですね」といったライン。

「ネット麻雀はラス回避麻雀」とは『天鳳』時代からよく言われていたお決まりの文句で、『雀魂』も例に漏れず4位を回避し続けていれば、大体ランクを上げるのに苦労はしません。試合終了時のポイント増減が4人打ち半荘で1位+200、2位+50、3位-10、4位-250みたいな極端な分布になっているからです。

オーラスで3位の人が順位の変わらない1000点での和了も珍しくない光景です。むしろ上位卓と呼ばれる高段位戦であるほど、その傾向が強いと言えます。

天鳳』をさかんに利用していた時代は、都内でフリー雀荘に通っていたこともあり「順位の変わらない3位確定和了りなんかできるか!」と馬鹿正直に打っていましたが、残念ながらネット麻雀ではそういう人のことを「トップラス麻雀」と揶揄して下に見る風習もあったり・・・。

そんなこんなで『天鳳』では一番よく利用していたアカウントでも、最高段位6段くらいで、平均順位も2.4を切ることはめったにありませんでしたが、『雀魂』では7段相当の雀聖に手が届く位置まで登ってこれました。

 

雀風の変化、というのは余り感じていない。*2昔は好きだったプロ雀士の打ち方や考え方を真似る傾向にあったが、どちらかというとバランスを重視しつつある。図らずとも、逆にその好きだった雀士にかえって近づく結果になっているかもしれない。

麻雀に限った話ではないが、物事が上達する過程というか、行動や発想が習熟していくにつれて、人と言うのは見えない部分や未来の部分に手が届くようになってくる。

最初のうちは見えているドラや手役を使えず、和了率も低ければ、和了点も低いという初心者特有の手作りであったものが

見えているものをきちんと活用できるようになり、対戦相手のことや周りが見えてくるといった具合に。そして上級者になれば、やがて引く可能性のあるドラの「受け」を考えたり、手役の可能性や他家の聴牌気配が見えてくるようになる。

商売などでもそうだろう。足し算引き算もろくにできなければ当然利益も出ないが、堅実に商売をしていれば「落ちているお金」を拾える程度には形になる。限られた情報や機会の前に、精度の高い未来予測を以って取引ができれば、大きな利益がもたらされるだろう。

我々に与えられた点棒は、皆平等に2万5千点ではないのかもしれない。それでも、見えている情報を拾って、機微を捉えた打牌選択ができれば、それなりの和了ができるのもまた、人生なのかもしれない。

 

などと、ディスカバリーチャンネルで覆面ビリオネアを見ながらタンヤオドラ1を和了りつづけるのであった。

*1:APEXで言うところの、そのままブロンズ→シルバー→ゴールド→プラチナ→ダイヤ→マスター→プレデターに近い関係。

*2:麻雀の戦術やスタイルのこと。

『来る』、観る、勝つ。

 気付けば90日間更新していない表示が出てしまい、こっそり落ち込んでいたりするけれど、私は元気です。

何気に過去の記事を見返していたら「原作ありの映画だけど、原作未読」のレビューが多いなぁと思いました。基本的に原作信者なので高評価しない傾向にあるんやろね。しょうがないね。

今回レビューをしたいのは、そんな原作つきの映画で、原作を読んでいるにも関わらず、一言も二言も語りたくなる映画。

 

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『来る』  2018年公開

監督:中島哲也

主演:岡田准一松たか子小松菜奈妻夫木聡黒木華

 

 知人から「1周回って面白い」的なオススメのされ方をして、ちょっと悩みながら保留していたところ「これ原作読んでるやん」と気づいて視聴。

原作は 澤村伊智の『ぼぎわんが、来る』というホラー小説。

タイトルからして「何が来るのん?」と興味を惹きやすくする狙いなのか、公開前の予告でも何となくハッキリしない宣伝の仕方をされていた。

とにかく分かるのは、やたら俳優陣が豪華であることと、貞子的なサムシングが来るんだろう・・・ということ。

 

あらすじ。

 恋愛結婚で待望の第一子を授かり、仕事も育児もバリバリ頑張ろう!な陽キャパパの田原秀樹(妻夫木聡)の元に、正体不明の女性が現れる。その女性は秀樹の過去や家族のことをよく知っているような雰囲気をしているが、正体は分からない。やがて女性の伝言を取り次いだ後輩社員が変死を遂げて、家の中や家族にまで不穏な気配が忍び寄る。秀樹は家族を守るために、学生時代からの友人を頼って霊媒師を探し出し、家族を守る決意を固める。

 

これ、第一幕のあらすじね。

というのも、原作は三部構成になっており、夫である田原秀樹、妻の田原香奈、何でも屋ルポライターの野崎和浩と主人公が移り変わっていく。

各部で起承転結がしっかりとしており、作者初の長編小説ながらも、オリジナル設定や構成が絶賛されて「日本ホラー小説大賞」を受賞している。

最終選考で満場一致の評価をされていることや、「『リング』の再来」とまで言わしめた原作だが、これを映画化するのはかなり骨が折れたと思われる。私ならやりたくないなぁ・・・。

映画脚本では「三幕構成」という基本ラインがあるが、原作通りにストーリーを展開してしまうと、三部あるので九幕構成になってしまう。

単純に映画自体を三部作にしてしまうのは構成上無理があるし、時間配分もかなり大胆な改変や削減が行われたはずだ。というかされている。

 監督の中島哲也は『下妻物語』『嫌われ松子の一生』『告白』『渇き。』などで知られ、邦画界では割と派手なエンタメ系を得意とする作風。特に『下妻』『嫌われ松子』ではその傾向が顕著で、緻密な脚本や展開よりも、演出と美術のセンスで見る人を飽きさせる前に、自分のやりたい事をやり切って終幕まで持ち込むのが得意な人だ。あまり安易には用いたくない表現だが、天才肌と言ってよい。

そこから『告白』では敢えて派手な絵面を封印、緊張感ある映像で最後まで間を持たせていたし、『渇き。』から今作『来る』では脚本に若手を共著させるなど、ワンマンな堅物かと思いきや冒険心も持ち合わせている。(俳優経験の少ない若手を起用したり、ベテランの演技派に意外な役を当てたりと、遊び心たっぷり。)

個人的に人物としての監督はあまり好きではないのだが、とにかく映像のビジュアル面や、年齢からは想像もできない斬新さは唯一無二と言っていい。

今作の評価も、この監督の良い面と悪い面を受け止めた上で「観て良かった!」と思えました。

 

まずは良いところ。

高評価レビューで必ず触れられているが、キャスティングが素晴らしい。妻夫木聡は薄っぺらさを好演しているし、妻の黒木華は暗くて幸薄い女性やらせたら若手日本一だし、松たか子はとにかく強そう。というか強い。

脇を固める霊媒師の柴田理恵や、スーパーの店長が伊集院光だったり、実在しているかのような納得感のある配役が随所にある。

それでいて俳優パワーで押し切るかと思いきや、監督のセンスがそこら中で光りまくっていて、何度もニヤけては時間を忘れて楽しんだ。伏線が張り巡らされたような作品ではないが、間を空けずに何度も観たくなるシーンが目白押しなのだ。

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映画冒頭、2分間で妻夫木聡が「あれ」に怯えまくるシーンを描いてからのオープニングがドン!古風なシーンやグロテスクな自然映像がサブリミナルのように連続し、BGMにUKロックバンドのKing Krule、Dum Surferが爆音で流れる。

退廃的な音楽と、身近なのに非日常な映像というアンバランスさが凄い。タランティーノみたい。(誉め言葉)

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妻夫木聡は今作で、とことんひどい目に遭うわけだけど、ちょいちょいサムライミ的な演出のされ方をしていて笑わせてもらった。原作とは全く違う恐怖表現をしているのだが、監督なりの苦肉の策だったのか、仮説に対する反証であったのか。個人的には絶対に入れた方がいい演出でした。

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小松菜奈はモデル出身ながらも、中島監督に発掘されて見事に色んな顔を映画で見せてくれる女優に進化した。「目の殺し方」が絶妙に上手い。目力がありすぎて「いま演技してます!」感がほとんどない。たぶん尾行とか得意な人だと思います。(謎の推測)

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逆にほぼ目力と存在感だけで演技をさせられた松たか子(小松菜奈の姉役)はというと、当然ながら演技の地力は凄まじく、抑揚のない台詞や少ない動きでも説得力がある。

恐らく監督の指示も多分にあると思われるが、全編通してほとんどの俳優の「手の動き」が美しい。演技の最中に行き場が分からない手や、オーバーなジェスチャーは見られず、綺麗な所作が多い。中でも松たか子は流石。

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あとどうしても言いたいのが無駄に現代的な神職の方々。松たか子演じる日本一の霊媒師から「祓うから手伝えや」の一声で全国から集合する霊媒師たち。(映画オリジナル)

ここが「妖怪大戦争ならぬ、霊媒大戦争」と評される今作の最大の見どころなのだが、カプセルホテルできっちり身支度をする神主さまたちや、現地の空き時間で自撮りをかかさない巫女さんたち。

神道に限らず、仏教、イタコ、琉球のユタ、ノロ、科学ゴーストバスターズまで、あらゆる霊媒師が揃うのも見どころ。

 

そして残念なところ。

 長々と本編のキャプチャ画像まで用意しておきながら、今更悪いところもクソもないものだが、どうしても言いたいことなので書かせていただく。ただ面白いだけだったらレビューしなかったと思うし。

一番は「原作の三部構成に寄せて作る必要性はあったのか?」という点。ここは脚本家の間でも意見が分かれたところではないだろうか。

序盤~中盤と妻夫木聡黒木華の二人が中心に描かれているにも関わらず、終盤は全く登場しない。それでいて3人目の主人公である岡田准一の存在感が希薄すぎて、全く意味の無い主人公に成り下がっている。

原作は「霊媒師・比嘉姉妹シリーズ」という側面もあるため、松たか子小松菜奈の両姉妹がきちんと活躍はしているものの、それならば続編も視野に入れて主人公扱いにしてもよかったのでは、という欲も湧いてくる。(エンディングの解釈によってはそうなっているとも取れるが。) 何だか映像を賑やかにする演出装置のためだけに、二人を扱っているようで少し残念な感じもあった。

 

 そして最も納得がいかないのが「恐怖とは何か」という原作からの提案と、映画からのアンサー。要所に見られる細かい部分では勘所を抑えてあるものの、ホラー映画として真正面から受け止めていいものか疑問の残る完成度になっていることは否めない。

そもそも原作では、作中のホラー対象は「ぼぎわん」と呼ばれるオリジナル妖怪であり、古来から日本人の生活に根差した存在であった。作者はその対象そのものが、どんな容姿や能力を持っているかよりも、それに対して周囲の人間が「どれだけ恐れているか」ということを重要視した。

さながら恐怖の対象が恐れられれば恐れられるほど力を増すがごとく、事実そのものよりも、噂のほうが力を持つような展開は、小説の中では一定の説得力があった。

一方で映像化された際にその方法論をそのまま持ち込んでしまえば、俳優がひたすら驚いた顔がアップで映し出されるだけの、リアクション映画に他ならない。

映像によって人間が恐怖する、ということは、観ている人間の「予想を裏切らなければ」いけないのだ。ただ強い力が行使され、登場人物がやられているだけでは、怪獣映画と変わらない。名作と言われた『リング』の貞子も、ビデオを見なくても即時呪い殺す最強ゴーストならば、全く評価されなかっただろう。

誰もいないはずの空間に何かがいる。死んでいるはずの人間が動く、存在する。そういった「当たり前の日常を裏切ってくる非日常」が恐怖の大原則だ。そして裏切られるということは、誰もいない、死んでいる、という事前情報が担保されて始めて起こる現象だ。

映画で描かれる「あれ」は、原作の「ぼぎわん」とも違う強大でただただ邪悪な「あれ」でしかなく、そこには何の設定も事前情報もなかった。そこだけがこの映画の存在意義を失わせてしまうに十分な欠点だと感じた。

リアクション芸に終始することこそなかったが、霊媒師が淡々とやられていくだけでは「あれ」の怖さは何も実感することができず、仮面を被った名前も知らないレスラー同士が淡々とプロレスをしているだけのような、気まずさだけが残った。

 

 とはいえ、それらの構成上の欠点は、演出やビジュアルの素晴らしさを帳消しにするほどではなく、「原作準拠だが違うものとして楽しめる」という実写映画化にお決まりの無難な評価へと落ち着いたように思う。

三部構成や恐怖描写への仮説といった原作の挑戦的な部分は、演出や美術のセンスと、邦画らしからぬ派手なエンタメホラーという挑戦によって、ある意味で観客に言及の余地を残した作品になったのではなかろうか。

百万回は観たような、ありきたりなホラー映画に飽きた人は、是非観ていただきたい、超大作B級ホラーでございます。

『バサジャウンの影』レビュー

Netflixオリジナルの『オキシジェン』を見て、ひどい映画だったレビューを書こうと思ったんですが、私が書かなくても十分酷評されてそうなので断念。*1

やっぱり面白い映画見て「面白かったー」って言いたいですよね。ねえ、Gさん

 

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『バサジャウンの影』(原題:El guardián invisible) 2017年制作

監督:フェルナンド・ゴンサレス・モリナ

主演:マルタ・エトゥーラ

 

原作はドロレス・レドンド*2による「バスタン渓谷三部作」と呼ばれるミステリ小説で、原題と同じくEl guardián invisibleとなっている。意味は「見えざる守護者」

1作目だけ翻訳されているが、他は未翻訳。

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そのせいなのか、映画化されている2作目以降も、Netflixで日本語字幕が制作されていない。待っていれば翻訳されるのか・・・?

 

舞台はフランス国境にほど近い、スペインの片田舎。意味ありげな少女の絞殺死体が立て続けに発見されたことにより、FBIでの勤務経験があり、地元出身の女性刑事が担当を任される。

使命感を持った女性がプロファイリングをしつつ、いたいけな少女を狙うシリアルキラーを追う構図は『羊たちの沈黙』に近いものを感じつつ、田舎の村独特の閉鎖的な身内感や、オカルトめいた因習が付きまとう。*3

『Calibre』でも言及した気がしますが、「こういうのでいいんだよ」感がすごい。

 

馴染みの薄い文化圏の風習、全体通してじめーっとした暗さや中盤のダルみなどが評価を下げているようだが、三部作の1作目ということで、設定の説明に手間がかかって少し遠回りな印象を与えた。

説明的な台詞が目立つ訳ではないが、結構な数と頻度で少女が殺される割には、主人公の家庭環境と同時進行するのが、少々引っかかるのだろう。そこも見どころだと思うんですけどね。

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お母さんが怖い。ヒステリック魔女ババア。

 

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お姉ちゃんも怖い。絵に描いたような長女。

 

最初は感情移入できるか自信のない主人公だと思っていたが、無能な訳でもなく、かといって女性ウケを狙ったキャリア志向の強い女性でもなく、私生活と使命感に板挟みになりながら、過去のトラウマに寡黙に向き合う様は健気で応援したくなった。

ハリウッド映画は属性を強く打ち出しすぎなので、こういう地味だけどしっかり芯の通ったキャラクターは大変好ましいです。

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捜査担当から外されてしまい、落ち込む主人公。この村いつも雨降ってんな。

 

印象が悪いかなーと思っていたオカルト要素は、あまり批判的なレビューは見られなかった。むしろ「田舎の森で連続殺人?絶対見るわ!オカルト?最高やん!」みたいな変態レビュワーが多かった。

邦題にもある「バサジャウン」とは、バスク神話に登場する森の精霊。フランス~スペインのごく一部でのみ伝承されるアニミズム信仰で、太陽や雷など、自然現象それぞれに神様がいる。天地創造系の話はなく、葬送儀礼なども存在しないようなので、宗教というよりは御伽噺として伝承されるに留まる。

少女が失踪して、森で発見されることからマスコミが「バサジャウンの仕業じゃ!」と煽るものの、本来は守り神らしい。これが原題の「守護者」と繋がってくる。

恐らく原作ではもうちょっと踏み込んだオカルト要素があると思われるが、映画のほうでは露骨にトリックやメインプロットには介入しない。舞台設定やストーリーのフレーバーとして重要な位置にあるのは間違いないが。

主人公の育ての親である叔母(父方の姉?)がタロット占いをしてくれたり、すこーしだけ捜査のお手伝いをしてくれるような、そんな感じ。余り細かく言うとネタバレになってしまうが、多分続編にはもう出てこないので、もうちょっと丁寧な描写が欲しかった。(もしかしてオカルト要素は1作目だけなのか・・・?)

 

地味すぎるのと脱線があるせいで分かりづらいが、伏線もしっかりとあってミステリ要素も踏みつつ、家庭問題や現代の性の乱れに対する警告、女性の社会進出的な要素と、メッセージ性はちゃんとある。

突っ込みどころも勿論あるが、一番笑ったのが証拠品のクッキーを食べちゃうところ。(他レビュワーもめっちゃ突っ込んでた)

「ムム、これは石窯で作った本格チャンチゴリ*4!」みたいな。

あと現場検証中にヌートリア(カワウソ)見つけて「何奴!」ってテンションで躊躇なく発砲する無能刑事とか、可哀想になって「介錯いたす」とトドメの1発ぶち込んだり・・・。怒られるぞ。

 

たぶんNetflix側も「日本から結構再生されてんな、続編翻訳したろ」と思うはずですので、暇な人は是非見てやってください。鬼女板とか好きな人はハマります。

*1:マジでクソだった。フランス映画はクソ。

*2:キャットファイトとは関係無い。

*3:主人公が幼少期にトラウマ抱えてるのも似てる・・・。

*4:地元の名産品

ジェイク・ジレンホールについて語ろう

ミセスGさんに「好きな俳優は誰?」と聞かれたので答えます。

ジェイク・ジレンホールです!!!

 

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ロン毛とかオールバック好きなんですよね。セクシーだから。

若かりし頃のメル・ギブソンとかも好き。

あとお父さんにしたい俳優No1はリーアム・ニーソン。強いから。

 

・おすすめジェイク映画リスト(公開年順)

遠い空の向こうに(原題:Octorber Sky) 1999年

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初主演にして、ジレンホールの俳優としての方向性も決まった作品。
貧乏な炭鉱町で、冴えない陰キャの主人公が自作ロケットを打ち上げる青春ドラマ。

閉鎖的な田舎で外の世界に憧れを持つという、アメリカのティーン映画ではお決まりのパターンだが、周りの大人を説得したり協力してもらったり、ティーンコミュニティだけに終始するのでなく、町全体を巻き込んでいる感じがとてもいい。

しかも実話を元にしており、きちんとNASAに就職したり、ロケット業界では神様であるフォンブラウンに会っていたりと、ドラマ性も凄い。

特別頭が良い理系学生というわけでもないところから、必死に勉強したりトライアンドエラーでロケットを飛ばす熱量がすごいので、若者が頑張ってる姿に感動しちゃうオッサンには持ってこいの映画。

 

ゾディアック(原題:Zodiac) 2007年

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1968年から端を発した、連続殺人事件および、全米メディアを巻き込んだ暗号騒動を元にしたミステリー作品。こちらも実話ベース。

アイアンマンこと、ロバート・ダウニー・Jrと共演しているが、しっかり主人公はジレンホール。

新聞社で働く冴えない風刺漫画家であるロバートは、犯人が送り付けてきた暗号に強く興味を持ち、やがて警察の捜査を超えた独自の調査により、自伝を出版するに至る。

アメリカ犯罪史を代表するような大事件の第一人者の半生というだけでなく、当時のアメリカの雰囲気を描いたクラシカルな世界観も魅力。

ちょっと長くて地味ではあるが、事件に対する主人公の熱意をジレンホールが熱演している。

 

プリズナーズ(原題:Prisoners) 2013年

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女の子の誘拐事件を発端に、被害者の父親、担当刑事、容疑者それぞれの顛末を描いた群像劇的なミステリー映画。

主演である名優ヒュー・ジャックマンを食いまくった迫力ある演技に度肝を抜かれた。

元々はヒュー・ジャックマンが好きなので見始めたのだが、思わず推しを変更してしまう程度にはハマった映画だ。

オチがハッキリしないというか、ハッピーエンドなのかバッドエンドなのか判別する直前でスッパリと終わっているのも個人的に心打たれた。

 

ナイトクローラー(原題:Nightcrawler) 2014年

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犯罪や事故現場を撮影し、テレビ局に売り込むフリーランスカメラマンが主人公のサスペンス映画。

より過激で、より高く売れる映像を求めて危険に飛び込んでいく様は狂気そのもの。こいつはサイコパスですぜ・・・。

この辺で紹介する作品の傾向が分かっていただけると思うが、冴えないと思っていた主人公が異常な熱意を発揮して変貌していく様を表現するのが非常に上手い。

元々が垂れ目気味でハンサム、ちょっと口角の上がった表情というのが大きいのでしょう。

常にしょんぼりして、ふてくされてるような表情だったり、ヘラヘラと甲斐性の無い感じをナチュラルに出せているから、何かに集中している演技を見て視聴側も集中しやすい。

 

雨の日は会えない、晴れた日は君を想う(原題:Demolition) 2015年

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通勤途中の交通事故で、同乗する妻を突然亡くした証券マンが主人公のシニカルなドラマ。

目の前で妻が死亡するという、ショッキングな出来事がありながらも、実は妻を愛しておらず、それほどショックを受けていない自分にショックを受けている展開が新鮮。

お金を入れたのに商品が出てこなかった自動販売機の管理会社に宛てて、妻との馴れ初めや現在の心境などをクレームのような形で発露していく様が面白い。

内面的な心の動きを描いているという点においては、フランス映画のような地味さもあるが、ジレンホールの不安定で狂気っぽい演技の上手さから、妙に惹きつけられる。

タイトルはよくある謎邦題に見えるが、オチを強調する味のある邦題になっていると思う。

プリズナーズと合わせて、観た後に誰かと考察や感想を言い合いたくなるような作品。

 

 

最後に。

ラストネームのGyllenhaalはカタカタ表記だとギレンホールと呼ばれるが、アメリカ英語ではジレンホールと発音するらしい。

スウェーデンではイェレンフーレヘと発音するのが正しいようです。

どうでもいいと思います。

いまさら『エイリアニスト』

なぜかは分からないけれど、唐突に『アイアムサム』と『宇宙戦争』と『PUSH』と、ついでに『スーパー8』を見てしまい

そのままの勢いで見始めたドラマ。なぜかは分からないけれど。(白々しい)

やっぱり子役の時はダコタだけど、大きくなってからはエルのほうが女優然としている気がする。

 

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『エイリアニスト』(原題:The Alienist)

19世紀末、精神病患者は人間本来の本質が損なわれていると考えられていた。

人々は彼らをエイリアンと呼び、彼らを研究する人を「エイリアニスト」と呼んだ。

 

・めっちゃいいなーと思ったところ。

物語の大枠は、ミステリー要素の強い犯罪捜査系クライムサスペンス。

特筆すべきは舞台が1896年のニューヨークである点。20世紀以降の現代的な社会への過渡期がハッキリと表現されている。

『スリーピーホロウ』にも描かれていたが、あの時代のニューヨーク市はファッションや街の外観が非常にオシャレであり、また今では当たり前のことすら、当時の人たちには奇異に受け取られていた。(例えば映画館はまだ「キネトスコープ」と呼ばれ、風景写真をパラパラ漫画で流すだけであった。それでもピアノの生演奏と共に波打ち際が映し出されると、観客は水しぶきを避ける動きをして大喜びしたのだ。)

犯罪捜査に関しても御多分に漏れず、犯罪心理学、科学捜査、警察官の拳銃所持など、現代では当たり前に行われていることが、芽吹き始めている。

ここらへんがいわゆる「異世界転生」っぽく機能しているので、主要人物の有能さと、前時代的なその他の人物が相対化され、見ているほうも流暢に物語を理解することができる。

人間は分からないことに対して恐怖や興味を抱いたりする珍しい生き物だが、やはり「分かっている」ほうが、よりその感情を喚起しやすい。

例えばホラーでは怪物側のカメラ視点で主人公を眺めたほうが「志村うしろー!」と盛り上がれるし、全然分からない分野よりも多少見識があるほうが、上から目線で余裕をもって見ることができる。

それが良い作用をすることもあれば、悪い作用をすることもあるのだけれど。

逆にこの流れで物語が展開していけば、主人公達の「障害」として立ちはだかるのは、やはり前時代的な慣習や無知故の差別であったり、科学への反発であったりと、有体に言えば「そこは人類がとっくに通り過ぎたはずでは・・・」と辟易してしまう。

科学的な裏付けや臨床的な結果が出ていないが故に、主人公達ですら迷いが生じたり、抽象的で曖昧な表現を繰り返すだけになるシーンも見られた。

ここらへんがドラマ特有の冗長さを際立たせていて、スッキリとしない。(ただでさえクライムジャンルは、犯人がやっつけられることでしかカタルシスを得るまともな結末が存在しない。)

 

・魅力的なキャラクターたち

ネット上でドラマのレビューを見てみると、一番目立った評価はキャラクターだった。(ちなみに検索2位は「エイリアニスト 犯人」だった。理由は後述。)

 

主人公ラズロ精神科医として成功している人物で、精神病院を経営する傍ら、刑事事件の精神鑑定をしたり、NY市警の本部長と交友関係を持つ。

捜査協力というよりは、ポケットマネーとコネを使い、連続殺人犯とプライドを賭けた勝負をしていると考えたほうが正しい。

けっこういい所の坊ちゃんだが、気難しい性格と右手の障害が原因で、昔の患者を使用人として雇う気ままな独身貴族。

見た目は威厳のあるダンディなドクターなので、たまに見せるうっかりした所のせいか評価が高い。確かに女性ウケはよさそう。

その一方で、実直な努力しか取り柄が無いとも言え、頭の良さをひけらかしたりとプライドが高く、爽やかハンサムな友人の社交性や才能に劣等感を持ってもいる。

自尊心と劣等感でごちゃ混ぜになった、男ウケの非常に悪いタイプ。

 

立ち位置としては『パーソンオブインタレスト』のハロルドや『トゥルーコーリング』のデイビスのような、場当たり的な主人公を抑えるブレイン担当に近い。

(つまるところ『NCIS』のリロイや『クリミナルマインド』のデヴィッドのように、強いリーダー像は打ち出せていない。精神科医なのにメンタルブレブレ。)

 

友人ジョンニューヨークタイムズに絵を提供する絵描き。今でいうパパラッチと法廷画家を足したような位置っぽい。

ラズロに命じられて事件の現場保全(被害者の遺体模写)をしたことから、捜査グループのメンバーに。

ハンサムで、酒と女に溺れ、やっぱりけっこういい所の坊ちゃんなので、気ままな独身貴族。

才能に悩んだり、女性にトラウマを抱えたりと実は苦労人なのだが、主人公からは一方的に妬まれている。

ジョセフ・ゴードンみたいな、ちょっとワルそうなイケメンなのだが、死刑囚と面会したらビビりまくったり、主人公の代わりにボコボコにされたりと、情けないシーンが多い。ボンボンだから仕方ないね。

 

NY市警女性職員サラ。ジョンの幼馴染であり、NY市警の女性職員第1号という肩書。

その実態は本部長の秘書でありタイピストで、まだまだ女性の社会進出は過渡期ですらない。

主人公達の捜査グループと、警察内部のパイプを担当する一方で、事件解決に貢献する重大なひらめきをしたりと、実は一番優秀なんじゃないか説。(なんだこのマジカルニグロ感は。)

幼い頃に母を亡くして父に育てられ、銃の扱いや酒の飲み方は当時の男性より一人前だったりする。

実は本作を見る前は、サラを演じるダコタ・ファニングが「そんなことも分からないなんて、警察もお粗末ね」みたいな、あたいったら最強ね系の高慢私立探偵ドラマだと思ってて

ならず者みたいな当時の警察官に露骨なセクハラをされても、じっと耐えるサラが不憫でギャップがやばい。

ラズロの髭にちょっと惹かれてみたり、幼馴染のジョンからアプローチされてみたり、お約束な展開もあるが、そんなことよりゴネる殺人犯を平手打ちして「おだまり!」とか言ってくれたほうが多分面白い。

 

その他にも、ユダヤ系の双子警察官が科学捜査を担当したり、主人公の使用人が囮捜査や裏方を担当したりと、確かに魅力的なキャラクターに溢れている。

 

・問題点というか要望点というか

シーズン1は全10話ということで、シリーズドラマの中では割と短い部類に入るんですが

死体が見つかり、どうやらただの怨恨じゃなさそうだぞ~被害者少年の男娼にまつわる暗い背景~連続殺人事件なのでは~容疑者は富裕層だから逮捕できないかも~警察の隠蔽や不祥事とかとか

(ついでに主要人物の過去とか内面描写とか。)

要素が多すぎる。

いくらなんでも40分の間に詰め込み過ぎて、風呂敷をたたむ前にもう次の風呂敷が開いてるんよ。

もうちょっと、1話完結でテンポ良くいくなり、メインの事件と同時進行で他の問題を解決したりしてくれれば、途中で中断しても「続き見ようかな」という気になるのに

ストレンジャーシングス』とか『ブレイキングバッド』のように一気に見たら勿論面白いし、続きが気になって細切れでもいいから最新話を見たい、という気にさせてくれない。

「まぁ面白いけど、完結したら教えてください。気が向いたら見ます」とか「つまらなくはないけど、8時間もかけて見るのはしんどい」というのが、圧倒的多数ではなかろうか。

しかも10話かけてたった一人の犯人を追いかけているものだから、そりゃあもちろんお約束な展開もあるわけで、二転三転としているうちに「で、結局犯人誰だったっけ?」という結果になりやすい。(検索ワードに「犯人」って入れさせる作品は正直失敗している。)

キャラクターは魅力だけど、ねちねちいじめられてるだけだし、最後まで見るのはなぁ・・・という人も少なくないのではないか。ちなみに私はジョンとサラの衣装を見るためだけに視聴している。

 

もっとハッキリと安直に「『CSI』の19世紀版です」と割り切ってくれれば非常に見やすかった。

それでは私は『シャーロットのおくりもの』を見に行きますのでさようなら。

ハードボイルドと邦画と

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長すぎたから目次なんか使ってみちゃったり

 

 ハードボイルドとは

 メジャーなジャンルではなくなってしまったが、ハードボイルド好きなんです。

酒と煙草と女と暴力、うだつの上がらないサラリーマンのおっさんが、自らを慰めるように格好良い主人公に自己を投影する、昭和のエンターテイメント、そんな印象があると思います。

いつしか負け犬男性の自己正当化コンテンツライトノベルになってしまった感がありますが、ラノベ*1とハードボイルド小説には、決定的な違いがあります。

 まず舞台設定は大半が現代であること。一部時代劇であったり第二次大戦中であったりもするが*2、基本的には読者に馴染み深く、世界設定を詳細に説明しなくとも物語が進行可能であること。

これはハードボイルド小説が一人称でありながらも、客観的で淡々とした描写で進行されることが大きな要因のひとつだろう。勿論、自己投影をしやすくするための舞台装置という側面もある。

 次に、主人公が持ちうる能力について。ラノベもハードボイルドも、主人公の冒険活劇と捉えることが可能だが、その冒険内容や障害への対処方法には明確な差がある。

ハードボイルド主人公と、作中のその他大勢の男性を分ける大きな要因は、優れた身体能力や知能ではなく、精神性にある点だ。

ラノベでは剣や魔法のファンタジー世界が多いこともあって、他人には無い能力*3が備わっており、それらを利用して物事が展開していくことが多いが

ハードボイルド世界では物事が展開し、それでも主人公が精神的に変化しないことこそが、強さや差別化として表現される。(探偵の主人公が卓越した推理能力で事件を解決することもあるが、著名な名探偵というよりも、私立探偵として泥臭い仕事をこなす側面が強い)

また暴力的なシーンも多くあるが、一方的に腕っぷしで乗り越えるよりも、肉体的、精神的な強靭性を前面に押し出されることが多い。*4

 これはハードボイルドというジャンル名の由来が「固茹で卵」、つまり物事に動じず変化しない様を表しているが故だが、日々の生活で我慢を重ね、鬱屈した読者を正当化する機能を果たしている。

ラノベで「こうなったらいいのにな」という安直なハーレムが描かれることがあるが、ハードボイルドでは「俺には恋人なんて必要ないのさ」というやせ我慢自己憐憫を実現している。*5

少女漫画のジャンルでも、冴えない(はずの)女性主人公が労せずに逆ハーレムを形成する定番のシチュエーションがラノベであるのに対して

部活に打ちこむスポ根ものや、仕事や対人関係で主人公の成長を描くような作品がハードボイルド型と分類することができるだろうか。

 男性向けと女性向けで異なるとすれば、(投影している読者を)誰にでもそうと分かる描写で持ち上げているか否か、が大きいと感じる。

上記のラノベ型で言えば、男性向けだと「仕方なく」同行する女性の存在や、主人公がそれを「やれやれ」と揶揄したりするが

女性向けではもっと直接的に(ありとあらゆるバリエーションの)イケメンが好意を寄せ、主人公もそれを歓迎する。(そして周囲もそれを羨む)

ハードボイルド型で言えば、主人公の強靭性や美学は自身のみ(あるいは一部の主要人物のみ)がその存在意義を認めるのに対して、女性向けでは普遍的な評価軸として主人公に与えられることが多い。

有体に言えば、男性は独占と自己満足こそが快楽に結び付いているのに対し、女性は羨望と共感が必要条件として挙げられやすい。(身も蓋もないステレオタイプだけれど)

 最後に、ハードボイルドとライトノベル的な物語の差異に、というより、なぜ共通点を持っているにも関わらず、私がことさら前者を好むのか、という点にも触れねばなるまい。

ハードボイルドでは、どのような結末を迎えるにせよ、主人公や主要人物が何かを得るにせよ、必ず痛みが伴う。大団円のwin-winなハッピーエンドは決して描かれない。

それはつまるところ「失って初めて気づく大切さ」と言い換えることができよう。

悪の魔王を打ち倒し、お姫様と結ばれてハッピーエンドにはならないのだ。むしろ魔王にお姫様を殺され、復讐を果たして物語は終焉する。この場合、どちらがより深くお姫様への愛情を確認できるだろうか?*6

(「片想いは絶対に破局しない」みたいなズルい理屈だが、失敗から得る教訓はやはり尊い。)

人間は、得られた喜びより、失った悲しみのほうが感情の振れ幅として大きいことは心理学の観点からも実証済みである。*7

 これらの見解はハードボイルドの表層を(同時にラノベの表層を)ごく一部切り取ってなぞっただけに過ぎないものだが、なぜ読んでいて気持ち良いと感じるのか、という説明の一部としては成り立つと思っている。

 

邦画の描く「内面性」

 実はここからが本題なのだが、どうして長々とハードボイルドの説明をしたかというと、邦画の良さはこういう「内面性」にあると思っているからだ。

ハリウッド映画では舞台が世界や宇宙(!)規模まで広がることも珍しくなく、超人的な能力を持った主人公が*8美女と人類を救うべく奮闘するが、邦画ではそんな大風呂敷を広げてしまうと脚本が完成する前から大ボツを食らってしまう。

予算的な問題も多分にあるが、日本人で映画館に足を運ぶ客層が、それを望んでいないというのも大きいだろう。そういうのは、アメコミ原作の娯楽映画で十分事足りているのだ。

我々は、よく知る人物が、よく知る事柄を、少しばかりの非日常で解決するような、手の届くエンターテイメントを望んでいる。(と、されている。)

アニメを除く邦画の興行収入ランキングを見れば一目瞭然だろう。テレビでよく見たドラマの映画化が大半を占めているのは、予算と需要を満たしているからこそなのである。

 

 具体的に、邦画で「内面性」はどのように描かれるか。

例えばオチにどんでん返しを用意したミステリ作品であった場合、洋画(特にハリウッド)では映像的にも見栄えが良い派手なトリックを用いがちです。

それによって主人公が利益を被り、ハッピーエンド。(もしくはその逆)

邦画の場合、主人公や犯人の心情、内面が明らかになることでどんでん返しが起きるパターンが多い。

それによってやはり主人公が利益を被り、ハッピーエンド。(もしくはその逆)

視覚的な隠し扉などではなく、内面的な心情を、あえて伏せておくことで(語らないことで)物語を急転回させる、いわば叙述トリックですね。

この手法は、人物評価を「誤解」している時ほど、効果が大きい。そっけない奴だと思っていたら、実は仲間思いであったり、親切な人だと思っていたら、超サイコパスな奴だったり。

完璧な密室だと思っていたら、巧妙な手法で抜け出していた、という構図と近しい。

代表例として、二つの作品を挙げてみよう。どちらも大好きな作品だ。

 

完全なる報復(原題:Law Abiding Citizen)』 アメリカ 2009年公開

監督:F・ゲイリー・グレイ(ミニミニ大作戦とか)

主演:ジェイミー・フォックスジェラルド・バトラー

あらすじ

妻と娘を殺害された男性が、望まぬ司法取引で釈放された犯人に復讐を果たす。

やがて逮捕された男性は、完全犯罪も可能なほど知能が高いにも関わらず、むしろ積極的に自ら司法の裁きを受けようとする。

復讐を終えて罪を認めたはずの男性の、本当の狙いは何なのか。

 

半落ち』 日本 2004年公開

監督:佐々部清

主演:寺尾聰

あらすじ

元警察官の男性が、「妻を殺しました」と自首をしてきたところから物語は始まる。

殺した動機、経緯など、細かに供述することから、事件は「完落ち」として解決するかに思われた。

しかし男性は殺害後の二日間の出来事については供述を拒否、事件は「半落ち」状態に陥る。

 

 これってどちらの映画も、「犯人の目的は何ぞや」というのが物語のオチなわけです。

完全なる報復』のほうは視覚的にも派手で、「こいつマジかよ・・・」と震え上がるような人物なんですが

半落ち』のほうは淡々と描かれて、「ああ、そうだったんやねぇ・・・」という少しだけ温まるストーリーなわけです。

そもそもジャンルが違うし、『半落ち』のほうは原作と少しオチが違うやんけ、というツっこみもあろうが、本来なら「拘束された被告人」という不動の装置が、言動ひとつでコロコロ物語が転換しちゃう点については、比較の価値があると思っています。

 

 オススメ邦画リスト

 やっとこさ映画をオススメできるぜ!ここから読んでもいいよ。

まずは以前レビューを書いた『歩いても歩いても』

khvost.hateblo.jp

 お盆に実家へ里帰り、という日本人なら大体経験しているであろうシチュエーションだが、家族の会話からそれぞれの内面が少しずつ見えてきて、「ヒエッ」ってなる隠れホラー映画。

人によっては、ほんわか家族の日常群像劇にしか見えなくて、邦画特有の肩透かしを食らうというのも個人的には「らしくていいなぁ」と思うんです。

 

 上記レビューでも触れた刑務所の中

原作は実体験エッセイ漫画という異色の映画ながらも、その内容も異色だらけである。

実弾射撃可能な拳銃を所持していたとして、銃刀法違反で「執行猶予なしの実刑を受けた作者の、非日常的な小話の詰め合わせ。

主人公演じる山崎努がとんでもなくいい味を出していて、その心情も終始一貫してほんわかしている。

そのほんわかしたおっさんが置かれている環境が、とんでもなく非日常すぎてギャップにビビる。

「麦飯にちょっと醤油かけると美味い」とか「便意をこらえて封筒作りの自己新を目指す」とか、気合の入れどころが常人離れしていて、いちいち面白い。

その健気さと、「狂った環境に耐えるには狂人になるしかない」という切なさに、初見でマジ泣きをした迷作である。当時、薬物使用の疑いをもたれていた窪塚洋介がシャバを懐かしむ名演技が笑いを誘う。

ちなみに似たような作品に極道めしがあるが、こっちは単純なコメディなので気になったらどうぞ。

過酷な環境下で、頭のネジが飛んだり美味しそうにご飯を食べるという点では南極料理人も名作だ。冒頭の「お前がいないと・・・!」や「下の歯だったのに」は珠玉の名台詞となっております。

 

 ちょっと箸休め、真面目(?)なミステリ作品『告白』

日本人で好きな女優ってあんまりいないんですが、松たか子は別格です。喋りがすごい。声を出すだけで演技ができる俳優はなかなかお目にかかれるもんではありません。

中学校の担任教師が、教壇から生徒に向けて淡々と「ある告白」をするところから始まります。

何がはじまったんだ?何が明らかになるんだ?と前情報無しで観たほうがワクワクするかもしれません。まさに内面を明らかにすること自体がエンターテイメントになっている、邦画のお手本のような映画構成です。

オチのあたりは賛否あるかもしれませんが、松たか子の存在感がすごい。『悪の教典』は生徒がわちゃわちゃしていたが、こちらは生徒に目を向ける余裕がないほど主演が光っている。

 

 邦画あるある、素朴なしあわせ『小さいおうち』

 あ、そうです松たか子です。太平洋戦争の戦況が悪化していくさなか、東京の下町にあるひとつの家を描いた回顧録。監督は山田洋二。

過去を振り返り、内面が明らかになり、そうだったんだー、とオチに繋がるのは邦画特有のお決まりパターン。というか小説原作だから余計にね。

太宰治みたいな、ドロっとした昭和初期の恋愛小説みたいな雰囲気があります。古すぎる作品が苦手な人はこういうところから入りましょう。 

 

 ベストセラー小説の映画化、興行的にも成功、さまよう刃

邦画って小説原作多いですよね。失敗するの怖いからね。しょうがないね。

寺尾聰さんです。さすがに名優です。俳優繋がりで別作品に派生するのオススメです。

売れに売れたベストセラーですが、原作読んでない人にも大丈夫な感じになってます。

でもやっぱり両方見て欲しいかな。どっちにも良さがあります。

原作は犯人に対してとにかく胸糞悪い感情を抱きましたが、映画は主人公に感情移入してから犯人に恨みを抱きました。映像化されると内面が可視化されやすいから、こういう点はメリットですよね。

全然関係ないですけど、邦画版『狼の死刑宣告』だと思っています。ベーコンのやつ。

 

 こっから時代劇シリーズたそがれ清兵衛』『隠し剣鬼の爪』『武士の一分』

山田洋二監督の「時代劇三部作」と呼ばれています。原作がすべて時代劇小説の大家、藤沢周平ですね。

時代劇って小さいころに見ていた水戸黄門とか大岡越前の印象が拭えなくて、古臭い勧善懲悪のイメージを持っている人が多いと思うんですが

美術、小道具、ロケーション、徹底したリアリティのある舞台で撮られた作品で、時代劇が苦手な人でも楽しめると思います。

内容的にはモロにハードボイルドなもんで、男の美学とか鼻で笑っちゃう人もいるかもしれません。

でも木村拓哉が出演した映画で唯一『武士の一分』だけは好きなんじゃ・・・。イケ好かないイケメン侍がボロボロになって、泥臭く立ち回るシーンは「そうそう、中の人もこれくらい謙虚であれ」と思ってしまう。(斜に構えたキムタクが、斜に構えたまま活躍しちゃうなろう系作品が多いからね・・・。)

監督は違うけど、お気に召したら同じ藤沢周平原作の必死剣鳥刺しもオススメです。やたら高身長な色気ムンムンのトヨエツが女狐を成敗して、吉川晃司と大立ち回りする映画。池脇千鶴は嫌いじゃないけど、濡れ場はいらないです。ごめんなさい。

あとついでだけど、山田洋二監督と寺尾聰つながりで『雨あがる』も入れさせてください。バチクソに地味な映画です。サムライ好きじゃないと見れないですけど。

 

書いてみて思ったけど、やっぱり俳優とか監督とか原作とか、どこかが琴線に触れないと、邦画って観る気力がわかないですよね。

ぼけーっと見てるうちに「あれ、こんな人だったんだ」とか「ああ、こういう考えだからこうなったのね」くらい見えてくると、ちょっと楽しみ方が分かるかもしれません。

ハリウッド映画なら「ここはこの人がこう思ったから、こうなるんやで!」っていう手段でしかないんですけど、邦画はその感情自体が目的だったりするんです。

名画『レオン』でも、「少女が一人前のレディに成長する、ちょっと刺激的な冒険」と見ることもできれば、「冷徹な殺し屋が少女と出会うことで人間らしく生きるきっかけを得た」みたいな見方もできるわけです。

外側の派手なアクションシーンもいいんですが、こういう内面を見てひとりで悦に入るのもオツな映画の楽しみ方ですよね。(回収しそこねた伏線を無理やり最後に出していく)

 

*1:特になろう系

*2:時に近未来であったりも

*3:剣術、魔法、その他チート性能

*4:相手のパンチを受けても倒れない、拷問を受けても折れないetc

*5:著名なハードボイルド作家、北方謙三は「やせ我慢こそがハードボイルドの神髄だ」と何かのあとがきで書いていた。

*6:「異常な状況下で結ばれた男女は長続きしない」とは、とある有名映画ヒロインのセリフである。

*7:プロスペクト理論とか。

*8:大抵は白人男性

そういえば『ジョーカー』を観たんだった

 

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けっこう色んなところでレビューを読んで、ネタバレを回避しながらも、いつか一人で静かに観ようと決めていた作品だ。

そういえば観たんだったな、と今月の映画秘宝の表紙で思い出した。(あれはダークナイト版だけど)

まぁ2019年の話題作なので苦労せずとも、そこら中にレビューは転がっていたし

ネタバレを気にするほどトリックや衝撃的なオチがある作品ではないのだが。

バットマンに出てくる敵の前日譚」くらいに考えて、概ね間違っていないし。

 

しかし今更この映画のレビューをして何になるのだろう、と思いつつも

それなりにレビューを見漁った割には、自分なりの感想が至極シンプルで2行くらいしか無いのに逆に驚いた。

悪の台頭を許すのは、被害を被るはずの民衆自身である。これに尽きる。

17世紀の啓蒙主義が唱えた「善人の無関心が悪を育てる」に通じるものがある。

あるいは「悪を罰しない者は推奨しているのと同じである」というダヴィンチの言葉も同様か。

勿論これはラストシーンを除く、導入からクライマックスまでを表面的になぞったシンプルな感想に過ぎない。

もっと突っ込んだ考察や、興味深いレビューも多く存在するが、果たしてそんなに鼻息荒くするほどの映画だろうか?とも思ってしまった。

映像は美しいし、エンタメ性もあって、アメコミ原作でなくとも成立する完成度ではあるが、秀逸なレビューを先に読み過ぎたせいか「シンプルな感想でよくね」って気分になってしまった。賢者タイムか。

 

というわけで、映画自体のレビューというよりも、レビューのレビューをしていきたいと思います。なるほどなぁと思ったレビューをうろ覚えのまま紹介。

 

・稀代の傑作。故に手放しで褒めるのは危険。

本国アメリカで上映反対運動や、子供に見せてはいけない的な意見が多かった流れも含めて。こういうのって害がなかったとしても「私たち心配なんです」っていうPTAみたいな宗教団体がいるので、あまりアテにならないというか、むしろ作品にハクをつけるだけという。

それを抜きにしても、作品の構造が「悪人の正当化」に見えなくもないんで、気持ちは分かる。分かるんですが、それってそんなに珍しいことですか?っていうのもある。

主人公が犯罪を犯して、見事大成功!なハッピーエンドの作品は珍しくもなく、映画で描かれたからといって人が真似するというのも的外れな気はする。

むしろ悪人を否定的に描いた作品を見て、否定されている悪に憧れを抱く人だっているし、映画で描かなくてもアホな奴はアホなことをするもので。こういう創作物の表現が与える影響について語ることって、無意味でしか無い気がします。

こういった手合いのレビューを読んでいて、ふと頭をよぎったのは「パニッシャーさんはよくて、ジョーカーがダメな理由って何ぞ・・・?」だったりした。

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パニッシャーはマーベルコミックの人気キャラクター。超能力を持たず、悪人を残虐に処刑するいわゆるダークヒーローで、DCコミックのバットマンとも共演して引き合いに出される。バットマンは財力と科学力で不殺を貫き、パニッシャーは元軍人として必殺を貫く。

ヴィランとは違うため、羨望を受ける立ち位置ではあるが、本作のジョーカーと描かれ方はそれほど変わらない。悪を以って悪を制す、そんな言葉が似合うキャラクターだ。

障害や格差により、社会から理不尽な扱いを受けたジョーカーも、家族を殺されて非合法な殺戮を繰り返すパニッシャーも、作品冒頭で感情移入させ、暴力描写でカタルシスを得る構造は変わらない。一体彼と私とで何が違う?そう思わせる文脈こそが、ジョーカーの恐ろしさでもあるのですが。

 

・ジョーカーは信用できない語り手である

これもよく見た考察系のレビューですね。上述した「感情移入させにくる悪役像」こそがジョーカーの真骨頂であり、超能力や身体能力を持たないにも関わらず、バットマンを苦しめる所以というか。

映画で描かれるほとんどがジョーカーの妄想であり、手口なのだと。

あるいは「本作のジョーカーは、後に誕生するバットマンと対立するジョーカーとは別の人物だ」という考察も興味深かった。

攻殻機動隊SAC笑い男みたいな「オリジナル無き模倣者」こそがジョーカーである的な。あるいはアーサーがジョーカー化する前の、車の窓越しに見たピエロマスクの男こそが、ジョーカーのオリジナルだとか。

ただ、あそこがこうだから妄想に違いない!的な考察は結構的外れだなぁと思って読んでいた。本作はバットマンシリーズの派生でありながらも、完全に独立したスピンオフとして見るべきで、設定や過去作からの矛盾から考察することにあまり意味を感じない。

むしろ「そういう見方をできる」ように作っている監督が凄いなぁ、と見るべきか。

 

・正義とは何か、経済格差

この辺のレビューは一歩離れたところから見た人たちというか、語りたいことを前提に本作を下敷きに書いているものが多かった。

バットマン側が無条件の正義なのではなく、アーサーにもアーサーなりの正義があったのではないか、というような言説であったり

いや、アーサーは正義ではないけども悪でもなく、経済格差や社会情勢が悪を生んだのだーみたいな。

そもそも「正義」という言葉自体、定義が非常に曖昧で、状況次第で変化する相対的なものでしかないという側面を持ちつつ

「矛盾なく対立可能な存在」であることを、意外と人は知らないのだよな、ということも考えさせられた。

例えば最近観た映画で『三度目の殺人』というのがあって、主人公の弁護士がまんま矛盾なく対立した正義を持つ状態でした。

死刑が求刑されそうな殺人事件の被告人を、最初はあの手この手で減刑させにかかる。ここでは「真実かどうかは関係ない。顧客の利益を考えるのが弁護士の仕事だ」と言い切り、衝動的な殺人と窃盗のみを認め、計画的な強盗殺人ではなく窃盗罪に落とし込もうとする。

やがて被告人の過去を調べていく内に、主人公は殺人そのものを行っていない可能性を考え始め、法廷で決して有利に働かない真実の存在を無視できなくなってくる。

前者は、被告人が減刑されるという「善」を根拠に正義を行っているのに対し

後者は、被告人が罪を犯していないという「真」を根拠に正義を追求しはじめる。

どちらも彼にとっての正義であるのだが、言動に矛盾が生じることは否めない。そういう葛藤を描いた作品だし。

我々の日常で行われる、身近な正義にしても、その捉え方は様々だ。募金をするのは「善いことだから」する人もいれば、そうするのが「人の正しい在り方だ」と信じている人もいる。

前者は募金をしない人のことを「善行をしない人」としか見ず、悪人だとは思わないが

後者からすれば「正しくない人」と認識し、悪人と見なす場合がある。

正義って一体、何なんでしょうね。

映画はその時の社会問題や、逆に普遍的な価値観を深く考えさせることがあって面白い。

 

書きながら思い起こしてみれば、本当に色々とレビューを見漁ったなぁという気がする。はてなでも普段映画レビューを書かない人がホッテントリに上がっていたり、楽しく読ませていただきました。

平積みされていない隠れた名作のレビューも面白いですが、ベストセラーのレビューを読み比べてみるのも良いものですね。