そういえば『ジョーカー』を観たんだった

 

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けっこう色んなところでレビューを読んで、ネタバレを回避しながらも、いつか一人で静かに観ようと決めていた作品だ。

そういえば観たんだったな、と今月の映画秘宝の表紙で思い出した。(あれはダークナイト版だけど)

まぁ2019年の話題作なので苦労せずとも、そこら中にレビューは転がっていたし

ネタバレを気にするほどトリックや衝撃的なオチがある作品ではないのだが。

バットマンに出てくる敵の前日譚」くらいに考えて、概ね間違っていないし。

 

しかし今更この映画のレビューをして何になるのだろう、と思いつつも

それなりにレビューを見漁った割には、自分なりの感想が至極シンプルで2行くらいしか無いのに逆に驚いた。

悪の台頭を許すのは、被害を被るはずの民衆自身である。これに尽きる。

17世紀の啓蒙主義が唱えた「善人の無関心が悪を育てる」に通じるものがある。

あるいは「悪を罰しない者は推奨しているのと同じである」というダヴィンチの言葉も同様か。

勿論これはラストシーンを除く、導入からクライマックスまでを表面的になぞったシンプルな感想に過ぎない。

もっと突っ込んだ考察や、興味深いレビューも多く存在するが、果たしてそんなに鼻息荒くするほどの映画だろうか?とも思ってしまった。

映像は美しいし、エンタメ性もあって、アメコミ原作でなくとも成立する完成度ではあるが、秀逸なレビューを先に読み過ぎたせいか「シンプルな感想でよくね」って気分になってしまった。賢者タイムか。

 

というわけで、映画自体のレビューというよりも、レビューのレビューをしていきたいと思います。なるほどなぁと思ったレビューをうろ覚えのまま紹介。

 

・稀代の傑作。故に手放しで褒めるのは危険。

本国アメリカで上映反対運動や、子供に見せてはいけない的な意見が多かった流れも含めて。こういうのって害がなかったとしても「私たち心配なんです」っていうPTAみたいな宗教団体がいるので、あまりアテにならないというか、むしろ作品にハクをつけるだけという。

それを抜きにしても、作品の構造が「悪人の正当化」に見えなくもないんで、気持ちは分かる。分かるんですが、それってそんなに珍しいことですか?っていうのもある。

主人公が犯罪を犯して、見事大成功!なハッピーエンドの作品は珍しくもなく、映画で描かれたからといって人が真似するというのも的外れな気はする。

むしろ悪人を否定的に描いた作品を見て、否定されている悪に憧れを抱く人だっているし、映画で描かなくてもアホな奴はアホなことをするもので。こういう創作物の表現が与える影響について語ることって、無意味でしか無い気がします。

こういった手合いのレビューを読んでいて、ふと頭をよぎったのは「パニッシャーさんはよくて、ジョーカーがダメな理由って何ぞ・・・?」だったりした。

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パニッシャーはマーベルコミックの人気キャラクター。超能力を持たず、悪人を残虐に処刑するいわゆるダークヒーローで、DCコミックのバットマンとも共演して引き合いに出される。バットマンは財力と科学力で不殺を貫き、パニッシャーは元軍人として必殺を貫く。

ヴィランとは違うため、羨望を受ける立ち位置ではあるが、本作のジョーカーと描かれ方はそれほど変わらない。悪を以って悪を制す、そんな言葉が似合うキャラクターだ。

障害や格差により、社会から理不尽な扱いを受けたジョーカーも、家族を殺されて非合法な殺戮を繰り返すパニッシャーも、作品冒頭で感情移入させ、暴力描写でカタルシスを得る構造は変わらない。一体彼と私とで何が違う?そう思わせる文脈こそが、ジョーカーの恐ろしさでもあるのですが。

 

・ジョーカーは信用できない語り手である

これもよく見た考察系のレビューですね。上述した「感情移入させにくる悪役像」こそがジョーカーの真骨頂であり、超能力や身体能力を持たないにも関わらず、バットマンを苦しめる所以というか。

映画で描かれるほとんどがジョーカーの妄想であり、手口なのだと。

あるいは「本作のジョーカーは、後に誕生するバットマンと対立するジョーカーとは別の人物だ」という考察も興味深かった。

攻殻機動隊SAC笑い男みたいな「オリジナル無き模倣者」こそがジョーカーである的な。あるいはアーサーがジョーカー化する前の、車の窓越しに見たピエロマスクの男こそが、ジョーカーのオリジナルだとか。

ただ、あそこがこうだから妄想に違いない!的な考察は結構的外れだなぁと思って読んでいた。本作はバットマンシリーズの派生でありながらも、完全に独立したスピンオフとして見るべきで、設定や過去作からの矛盾から考察することにあまり意味を感じない。

むしろ「そういう見方をできる」ように作っている監督が凄いなぁ、と見るべきか。

 

・正義とは何か、経済格差

この辺のレビューは一歩離れたところから見た人たちというか、語りたいことを前提に本作を下敷きに書いているものが多かった。

バットマン側が無条件の正義なのではなく、アーサーにもアーサーなりの正義があったのではないか、というような言説であったり

いや、アーサーは正義ではないけども悪でもなく、経済格差や社会情勢が悪を生んだのだーみたいな。

そもそも「正義」という言葉自体、定義が非常に曖昧で、状況次第で変化する相対的なものでしかないという側面を持ちつつ

「矛盾なく対立可能な存在」であることを、意外と人は知らないのだよな、ということも考えさせられた。

例えば最近観た映画で『三度目の殺人』というのがあって、主人公の弁護士がまんま矛盾なく対立した正義を持つ状態でした。

死刑が求刑されそうな殺人事件の被告人を、最初はあの手この手で減刑させにかかる。ここでは「真実かどうかは関係ない。顧客の利益を考えるのが弁護士の仕事だ」と言い切り、衝動的な殺人と窃盗のみを認め、計画的な強盗殺人ではなく窃盗罪に落とし込もうとする。

やがて被告人の過去を調べていく内に、主人公は殺人そのものを行っていない可能性を考え始め、法廷で決して有利に働かない真実の存在を無視できなくなってくる。

前者は、被告人が減刑されるという「善」を根拠に正義を行っているのに対し

後者は、被告人が罪を犯していないという「真」を根拠に正義を追求しはじめる。

どちらも彼にとっての正義であるのだが、言動に矛盾が生じることは否めない。そういう葛藤を描いた作品だし。

我々の日常で行われる、身近な正義にしても、その捉え方は様々だ。募金をするのは「善いことだから」する人もいれば、そうするのが「人の正しい在り方だ」と信じている人もいる。

前者は募金をしない人のことを「善行をしない人」としか見ず、悪人だとは思わないが

後者からすれば「正しくない人」と認識し、悪人と見なす場合がある。

正義って一体、何なんでしょうね。

映画はその時の社会問題や、逆に普遍的な価値観を深く考えさせることがあって面白い。

 

書きながら思い起こしてみれば、本当に色々とレビューを見漁ったなぁという気がする。はてなでも普段映画レビューを書かない人がホッテントリに上がっていたり、楽しく読ませていただきました。

平積みされていない隠れた名作のレビューも面白いですが、ベストセラーのレビューを読み比べてみるのも良いものですね。