『来る』、観る、勝つ。

 気付けば90日間更新していない表示が出てしまい、こっそり落ち込んでいたりするけれど、私は元気です。

何気に過去の記事を見返していたら「原作ありの映画だけど、原作未読」のレビューが多いなぁと思いました。基本的に原作信者なので高評価しない傾向にあるんやろね。しょうがないね。

今回レビューをしたいのは、そんな原作つきの映画で、原作を読んでいるにも関わらず、一言も二言も語りたくなる映画。

 

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『来る』  2018年公開

監督:中島哲也

主演:岡田准一松たか子小松菜奈妻夫木聡黒木華

 

 知人から「1周回って面白い」的なオススメのされ方をして、ちょっと悩みながら保留していたところ「これ原作読んでるやん」と気づいて視聴。

原作は 澤村伊智の『ぼぎわんが、来る』というホラー小説。

タイトルからして「何が来るのん?」と興味を惹きやすくする狙いなのか、公開前の予告でも何となくハッキリしない宣伝の仕方をされていた。

とにかく分かるのは、やたら俳優陣が豪華であることと、貞子的なサムシングが来るんだろう・・・ということ。

 

あらすじ。

 恋愛結婚で待望の第一子を授かり、仕事も育児もバリバリ頑張ろう!な陽キャパパの田原秀樹(妻夫木聡)の元に、正体不明の女性が現れる。その女性は秀樹の過去や家族のことをよく知っているような雰囲気をしているが、正体は分からない。やがて女性の伝言を取り次いだ後輩社員が変死を遂げて、家の中や家族にまで不穏な気配が忍び寄る。秀樹は家族を守るために、学生時代からの友人を頼って霊媒師を探し出し、家族を守る決意を固める。

 

これ、第一幕のあらすじね。

というのも、原作は三部構成になっており、夫である田原秀樹、妻の田原香奈、何でも屋ルポライターの野崎和浩と主人公が移り変わっていく。

各部で起承転結がしっかりとしており、作者初の長編小説ながらも、オリジナル設定や構成が絶賛されて「日本ホラー小説大賞」を受賞している。

最終選考で満場一致の評価をされていることや、「『リング』の再来」とまで言わしめた原作だが、これを映画化するのはかなり骨が折れたと思われる。私ならやりたくないなぁ・・・。

映画脚本では「三幕構成」という基本ラインがあるが、原作通りにストーリーを展開してしまうと、三部あるので九幕構成になってしまう。

単純に映画自体を三部作にしてしまうのは構成上無理があるし、時間配分もかなり大胆な改変や削減が行われたはずだ。というかされている。

 監督の中島哲也は『下妻物語』『嫌われ松子の一生』『告白』『渇き。』などで知られ、邦画界では割と派手なエンタメ系を得意とする作風。特に『下妻』『嫌われ松子』ではその傾向が顕著で、緻密な脚本や展開よりも、演出と美術のセンスで見る人を飽きさせる前に、自分のやりたい事をやり切って終幕まで持ち込むのが得意な人だ。あまり安易には用いたくない表現だが、天才肌と言ってよい。

そこから『告白』では敢えて派手な絵面を封印、緊張感ある映像で最後まで間を持たせていたし、『渇き。』から今作『来る』では脚本に若手を共著させるなど、ワンマンな堅物かと思いきや冒険心も持ち合わせている。(俳優経験の少ない若手を起用したり、ベテランの演技派に意外な役を当てたりと、遊び心たっぷり。)

個人的に人物としての監督はあまり好きではないのだが、とにかく映像のビジュアル面や、年齢からは想像もできない斬新さは唯一無二と言っていい。

今作の評価も、この監督の良い面と悪い面を受け止めた上で「観て良かった!」と思えました。

 

まずは良いところ。

高評価レビューで必ず触れられているが、キャスティングが素晴らしい。妻夫木聡は薄っぺらさを好演しているし、妻の黒木華は暗くて幸薄い女性やらせたら若手日本一だし、松たか子はとにかく強そう。というか強い。

脇を固める霊媒師の柴田理恵や、スーパーの店長が伊集院光だったり、実在しているかのような納得感のある配役が随所にある。

それでいて俳優パワーで押し切るかと思いきや、監督のセンスがそこら中で光りまくっていて、何度もニヤけては時間を忘れて楽しんだ。伏線が張り巡らされたような作品ではないが、間を空けずに何度も観たくなるシーンが目白押しなのだ。

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映画冒頭、2分間で妻夫木聡が「あれ」に怯えまくるシーンを描いてからのオープニングがドン!古風なシーンやグロテスクな自然映像がサブリミナルのように連続し、BGMにUKロックバンドのKing Krule、Dum Surferが爆音で流れる。

退廃的な音楽と、身近なのに非日常な映像というアンバランスさが凄い。タランティーノみたい。(誉め言葉)

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妻夫木聡は今作で、とことんひどい目に遭うわけだけど、ちょいちょいサムライミ的な演出のされ方をしていて笑わせてもらった。原作とは全く違う恐怖表現をしているのだが、監督なりの苦肉の策だったのか、仮説に対する反証であったのか。個人的には絶対に入れた方がいい演出でした。

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小松菜奈はモデル出身ながらも、中島監督に発掘されて見事に色んな顔を映画で見せてくれる女優に進化した。「目の殺し方」が絶妙に上手い。目力がありすぎて「いま演技してます!」感がほとんどない。たぶん尾行とか得意な人だと思います。(謎の推測)

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逆にほぼ目力と存在感だけで演技をさせられた松たか子(小松菜奈の姉役)はというと、当然ながら演技の地力は凄まじく、抑揚のない台詞や少ない動きでも説得力がある。

恐らく監督の指示も多分にあると思われるが、全編通してほとんどの俳優の「手の動き」が美しい。演技の最中に行き場が分からない手や、オーバーなジェスチャーは見られず、綺麗な所作が多い。中でも松たか子は流石。

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あとどうしても言いたいのが無駄に現代的な神職の方々。松たか子演じる日本一の霊媒師から「祓うから手伝えや」の一声で全国から集合する霊媒師たち。(映画オリジナル)

ここが「妖怪大戦争ならぬ、霊媒大戦争」と評される今作の最大の見どころなのだが、カプセルホテルできっちり身支度をする神主さまたちや、現地の空き時間で自撮りをかかさない巫女さんたち。

神道に限らず、仏教、イタコ、琉球のユタ、ノロ、科学ゴーストバスターズまで、あらゆる霊媒師が揃うのも見どころ。

 

そして残念なところ。

 長々と本編のキャプチャ画像まで用意しておきながら、今更悪いところもクソもないものだが、どうしても言いたいことなので書かせていただく。ただ面白いだけだったらレビューしなかったと思うし。

一番は「原作の三部構成に寄せて作る必要性はあったのか?」という点。ここは脚本家の間でも意見が分かれたところではないだろうか。

序盤~中盤と妻夫木聡黒木華の二人が中心に描かれているにも関わらず、終盤は全く登場しない。それでいて3人目の主人公である岡田准一の存在感が希薄すぎて、全く意味の無い主人公に成り下がっている。

原作は「霊媒師・比嘉姉妹シリーズ」という側面もあるため、松たか子小松菜奈の両姉妹がきちんと活躍はしているものの、それならば続編も視野に入れて主人公扱いにしてもよかったのでは、という欲も湧いてくる。(エンディングの解釈によってはそうなっているとも取れるが。) 何だか映像を賑やかにする演出装置のためだけに、二人を扱っているようで少し残念な感じもあった。

 

 そして最も納得がいかないのが「恐怖とは何か」という原作からの提案と、映画からのアンサー。要所に見られる細かい部分では勘所を抑えてあるものの、ホラー映画として真正面から受け止めていいものか疑問の残る完成度になっていることは否めない。

そもそも原作では、作中のホラー対象は「ぼぎわん」と呼ばれるオリジナル妖怪であり、古来から日本人の生活に根差した存在であった。作者はその対象そのものが、どんな容姿や能力を持っているかよりも、それに対して周囲の人間が「どれだけ恐れているか」ということを重要視した。

さながら恐怖の対象が恐れられれば恐れられるほど力を増すがごとく、事実そのものよりも、噂のほうが力を持つような展開は、小説の中では一定の説得力があった。

一方で映像化された際にその方法論をそのまま持ち込んでしまえば、俳優がひたすら驚いた顔がアップで映し出されるだけの、リアクション映画に他ならない。

映像によって人間が恐怖する、ということは、観ている人間の「予想を裏切らなければ」いけないのだ。ただ強い力が行使され、登場人物がやられているだけでは、怪獣映画と変わらない。名作と言われた『リング』の貞子も、ビデオを見なくても即時呪い殺す最強ゴーストならば、全く評価されなかっただろう。

誰もいないはずの空間に何かがいる。死んでいるはずの人間が動く、存在する。そういった「当たり前の日常を裏切ってくる非日常」が恐怖の大原則だ。そして裏切られるということは、誰もいない、死んでいる、という事前情報が担保されて始めて起こる現象だ。

映画で描かれる「あれ」は、原作の「ぼぎわん」とも違う強大でただただ邪悪な「あれ」でしかなく、そこには何の設定も事前情報もなかった。そこだけがこの映画の存在意義を失わせてしまうに十分な欠点だと感じた。

リアクション芸に終始することこそなかったが、霊媒師が淡々とやられていくだけでは「あれ」の怖さは何も実感することができず、仮面を被った名前も知らないレスラー同士が淡々とプロレスをしているだけのような、気まずさだけが残った。

 

 とはいえ、それらの構成上の欠点は、演出やビジュアルの素晴らしさを帳消しにするほどではなく、「原作準拠だが違うものとして楽しめる」という実写映画化にお決まりの無難な評価へと落ち着いたように思う。

三部構成や恐怖描写への仮説といった原作の挑戦的な部分は、演出や美術のセンスと、邦画らしからぬ派手なエンタメホラーという挑戦によって、ある意味で観客に言及の余地を残した作品になったのではなかろうか。

百万回は観たような、ありきたりなホラー映画に飽きた人は、是非観ていただきたい、超大作B級ホラーでございます。