読みながらずっと「あああああ」と声にならない声が出た。
あらゆるトラウマが呼び起こされ、ブラウザバックと闘うのに必死だった。
これに屋敷女とアンチクライストを加えれば完璧だ。(アンチクライストは入っている。)
SAWとかCUBEみたいな良い意味での強烈な印象を与えた映画はあるが
良くできてるけど二度と見ねーわクソが、って映画もたくさんある。
書きながら思い出したけど震える舌も結構やばいな。
邦題:最悪の選択
男同士で狩猟を楽しもうとスコットランド北部へ出かけた幼なじみの2人。だが週末の旅はたちまち悪夢に転じ、人としての本質を揺るがす耐え難い試練が待ち受ける。
久しぶりに非の打ちどころのない映画を見たな、という感想。悪く言えば凡庸でシンプルだが、脚本に粗が見られない映画というのはそうそうあるものではない。
ちなみに予告編はよほど勘が鈍い人でもない限り2分で全容が理解できてしまうので本編より先に見てはいけない。それだけ内容がシンプルってことなんだけど。
いわゆる出オチ系の映画ではなく、途中の心理描写や細かい伏線もしっかりカメラに収めて、それでいて退屈になる余計な描写も無い。
Netflixオリジナルとなる作品にはそれぞれ理由があるのだけど
「完成したけど配給先が無い」のでNetflixが配給権を買った場合(制作会社やプロデューサー、ディレクターでのトラブル)の他に
「ネタはあるのに金出す人がいない」パターンと「集客のために自社コンテンツ制作」パターンとに分かれる。
これは恐らく後者だと思うんだけど、どうしてこんなに完成度の高いものが作れるのかが分からない。興行収入だけを見た利益至上主義が逆にクオリティを下げたり、才能ある人の機会を奪っているのだろうか。
以下ネタバレを含む雑記感想。
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前回の54字云々のやつお題だったからタイトル編集しました。どうでもいい報告。
ふるさとに自慢することがないのですがどうすればいいんでしょうか。
山口県がもつ他県にない特徴として
・政治家、警察、自衛隊関係者が多い
テロ扇動してクーデターで新政府になった関係ですね。
会津に行ってタクシーで山口出身と言うと乗車拒否されます。
自衛隊基地・駐屯地は陸海空ぜんぶ揃って8か所もあります。
日本一厳しい訓練施設があるので、航空自衛官は漏れなく山口県が嫌いだよ。
あと昔の警察官がよく言う「~であります」は山口県の方言なんだ。出身者が多いからね。
・道路が異常に整備されている。
政治家が多いからだね。田舎の道路が良くなるとどうなるか知ってる?
住んでる人が便利になって都市部に流出するんだ。本末転倒だね。
でも観光地の道路は全く整備されていない。金の無駄遣いだね。*1
現職の知事がローディーなこともあってサイクル関係に力を入れてるけど、効果は微妙。
道路はいいけど田舎なので草木が邪魔すぎる。あと運転マナーが悪い。
自転車も含めて道路交通法を知らないドライバーが多く、広島~福岡のチンピラも多い。
高速道路は日本一高低差があって事故のメッカだ。ヘリまで動員して違反取締してくるぞ。
山口県が一発逆転する方法があるとすれば、船の燃料だけが異常に安くなって港周辺に企業が来るか
地元出身者が地元に強制的に納税する義務を負うとか、そういうのしかないと思う。
ソーラーパネルが乱立して景観は悪くなる一方だし、詐欺も横行してるし、脱税にも使われてる。
リモートワーカー誘致とか絵空事言ってる人がいるけど、都会でサラリーマンもリモートワークもしたことないやつが訳知り顔で語ってるだけ。
魅力を発信って、魅力がないから人がいないんだろうが。現実を見ろ。
ここに限った話じゃないが、有能な人ほど都会に行って使い捨てられて行って
地元に残ってるのは使い捨てもできない無能だけだ。この国はもうだめです。
*1:どうせ大した観光資源もないけど。
ググってみたけど、流行ってるのかはよく分からなかった。*1
本来は54字で文学性を表現するってものだと思うんだけど
「意味が分かると」系として、まとめブログとかNAVERに書かれてそう。
例題とか受賞作を見てみると、やっぱりホラーとかオカルトっぽいものが中心。
というわけで、ぱっと思いついたものもこんな感じになった。
なぜ54字なのかという、その数字の必然性は書いてみると分かる。*2
主語と述語で構成される、一つの単純な文節に対して
必要最低限の形容詞や修飾語をつけていくと、大体20~30文字になる。
これを二文節で完結させよという、いわば「即オチ2コマ」ってやつですね。
こう書くとTwitterでよく見る画像ネタよろしく、敷居も低くて流行してるのも頷ける。(流行ってるのかはよく分からんけど。)
部長から、問題を起こした者は処罰すると釘を刺された。 ←26文字
パワハラがひどいので、僕もホームセンターに買いに行こう。 ←28文字
横書きのほうが説明しやすいので、引用文にするとこう。
致命的な欠点として、フォーマット(原稿用紙風)が使いづらい、読みにくい。
原稿用紙に文章を書く場合は、原則として句読点は行の最初に持ってきてはいけない。
上記画像の5行目などはダメな例。4行目の最終マスか、欄外に書くのが決まり。
鍵括弧などの記号も含めて「54字」というルールがそれをややこしくしていて
もうちょっと何とかならなかったのか?という気がしないでもない。
受賞している作品はこのへんをちゃんと理解しつつ、努力した形跡が見られるが
そのせいで投稿者も納得のいっていない文章になっている印象を受ける。
とはいえ、綺麗な文章や本来の書式ルールに則らずとも受賞している作品はあるので、これはこれでゲームを円滑に行う決まりとして、やむ無しといったところか。
ただ、無理やり改行させられていくというのがとにかく読みづらい。
日本語というのは、結論を後回しに持っていく傾向が強いので長い文章であればあるほど集中力が必要になる。
短期記憶で文節の冒頭を記憶しつつ、読み進めて符合させる作業の繰り返しが読書だ。
改行とはその短期記憶を阻害させるので、闇雲な改行は読みづらさに拍車をかける。
適度な改行は記憶を整理させるのに有効なので、意外とテクニックやセンスが問われる。
ちなみに私の文章も句読点や改行の使い方が独特なので、恐らく読みづらいと感じる人は多いと思う。
普段の言動を知っている人なら分かると思うが、余計な一言が多いのでこういう文体になりやすい。
要するに修飾語や形容詞が過剰なので、もっと整理して書きましょうってことですね。
たった6行なのに何を細かいことを、と思う人もいるだろうが
出版社の行うコンクールって販促だけじゃなく、未来の作家養成にも繋がることなので
いくらラノベの売り上げがあるからといって、作り手のレベルを下げてまでやることとは思えない。
ちなみにストーリー性のある文章力を鍛えたいなら三行でやったほうがいい。
いわゆる起承転結を学ぶならこれくらいが最小単位だ。
今年のE3で非常にたくさんのゲームが発表された
特にXBOXが大きく息を吹き返すようであり、専用タイトルも多い。
トレイラーを作るのが世界一上手いUBIも新作ラッシュによる薄利多売に余念がない。
(薄いのは利益じゃなくてゲームの中身だが)
ゾンビゲーとオープンワールドも数多く発表されたので、期待しているものを列挙していく。
11/7発売予定 4人Coopのゾンビゲー
予約特典にベータキーが4つもついてくるので、これは近いうちにポチる。
PAYDAYの一番面白いところを作った人たちの新作。
2018年発売予定だけど続報がない・・・。Coopゲーでは一番息が長く続きそうなタイトル。
ちなみにVermintide2はどうせDLCが出そうなのと、一緒にプレイする人がいなさそうなので見送ってる。
コンプリートパックみたいなのが出てから、セール時に誰かと購入したい所存。
2019年発売予定 4人Coopのロボット狩りゲー
破壊時のエフェクトがゾンビに次ぐ気持ち良さになりそうな予感。
なお、今年もHellraidの続報はなさそうだ。
Dying lightをリローンチするために開発が無期限凍結になった今作だが
そのDying light2が発表されたため、またまた開発再開の目処は立ちそうもない。
Dead islandは続編が出そうなのによぉ!もうHellraidも開発どこかに譲れよ。
あと今すぐポチろうか少し迷ったのがこちら。
前作はソロゲーだったが、要望に応じて4人Coop可能に。
ただし相変わらず日本語化はできないしバグの塊のようだ。
Steamで買えないのもマイナス要素のひとつ。
STALKER2は2021年頃のようなので、気長に待ちますかね。
というわけで自分用の備忘録でした。
かっこいいジジイであるために。
日頃からジジイを見て「あ、ジジイだ」と思っているんですが
もしかしたら道行く人が私を見て「あ、ジジイだ」と思っているかもしれないし
ある日突然、鏡を見たら「あ、ジジイだ」と思うのかもしれないので
ジジイを見ても「ジジイだなぁ」と思うようにしようとしたのですが
それではいつか鏡を見ても「ジジイだなぁ」と思うだけなので、なんの成果も得られませんでしたぁ!になる。
かっこいいジジイになるための毎日は辛い。
目上の人間は、媚過ぎず敬わなければいけない。
目下の人間には、説教をしてはいけない。
加齢臭など持ってのほか、いつもきれいでいろ。
できる範囲でかまわないから。
最近心がけていること。かっこよく歩こうと意識している。
自慢の革靴を踵から着地し、小気味良い音を出して歩く。
全然関係ないけど、これを音がめっちゃ響くところでやると「軍靴の音が聞こえる」っていう無意味なワードが頭をよぎる。
道行く人もこっちを見る。何だあいつうるせえな。みたいな顔で見てくる。
その証拠に、こちらに視線を向けてくる人は、皆すれ違い様に私の足元に目を落とし、確実に靴を見てから通り過ぎていく。
意外と他人が自分のどこを見ているのかは、分かるものなのである。
着心地が良いという理由だけで夏に愛用しているポロシャツがあったのだが、胸の部分に自分の住んでいる地域のゆるキャラが刺繍してあった。
どっかの貰いものなんだろう、特に有名なゆるキャラでもないし別段気にするでもなく着ていたのだが
それを着て買い物に出かけると、8割がた胸の刺繍をチラ見される。
「年齢確認ボタンのほうお願いしますー(チラ)」「2006円お預かりしまーす(チラ)」
何が言いたいかと言うと、女性の胸を見る時は十分注意したほうがよいということだ。紀元前から言われてることだけど大事なことだよ。
今日も今日とて、革靴の踵を床に叩きつけながら歩いていたのだが
自分の足音よりもひと際大きく、聞き覚えのある音が背後から近づいてきた。
私は田舎者のくせに歩くのが早いという癖を持っているので、このド田舎において人から追い抜かれることはほとんどない。
学生の小走りか、ババアの全力疾走にしか抜かれることはないので、その足音が近づいてくると強烈な違和感を覚えた。
ハイヒールの音なのだ。コツーンコツーン「私、失敗しないので(ドヤァ)」みたいなやつ。
生まれてこのかた、ハイヒールを履いたことはないのだが、ハイヒールで急ぎ足になることの難しさは知識として知っている。
あまり幅に余裕のある道ではなかったので、ちょっとした好奇心も手伝って少し脇に逸れ、歩みを緩めてみた。
案の定その靴音の持ち主は、一層歩調を早めつつコツリコツリと近づいてきて、私の横を通り過ぎて行った。
オフィスレディ風のスカートタイプのスーツを穿いた女性は、鞄を脇に抱えてコッツコッツと歩いて行く。
その直後、わずかな段差にでもヒールをとられたのか、盛大に左足首をひねり、声にならないうめき声を上げてヨボヨボ歩きになった。
抜き返すのもはばかられ、用も無いのに道を曲がってコンビニを探して彷徨った。
ババアだって、かっこよくありたいのだ。きっと。
これからもババアの小走り以上、全力疾走未満の速度で人生を歩んでいこう。
この日記はタイトルも含めて10回ジジイと書き込み、3回ババアと書き込みました。
ゲームの話をするふりをして、思い出話をしようそうしよう。
我が家にはゲームと名のつくものはなく、一番最初に我が家にやってきたゲームタイトルはDOOM2(mac版)だった。
では友達の家に入り浸ってコントローラーを奪う機会を虎視眈々と狙っていたかというと、そうでもない。
自宅から車で30分ほどのところに母の実家があり、そこにファミリーコンピューターがあった。
(両親は仕事が忙しくなると、しょっちゅう私達姉弟を祖父母の家に預けた)
私が小学生の時にはすでにスーパーファミコンなる、スーパーなものが世の中に流通していたが
私にとってのゲーム(いわゆるテレビゲーム)は祖父母の家で遊ぶファミコンだった。
今思うとそのソフトの充実ぶりは凄まじく、ドラクエ、マリオは言うに及ばず
グラディウスやくにお君、ディスクシステムまでオールジャンルをカバーする「ファミコン入門」としては必要十分な品ぞろえであった。
これが当時とっくに定年を迎えていた初老の祖父のものであれば、おもしろエピソードでも飛び出してきそうなものだが
とっくに嫁いで家を出ていた母の妹、叔母の持ち物だったのである。(お姉ちゃんと呼べと厳しく言われていた)
持ち主を失い、埃を被らぬよう厳かにタオルがかけられていたファミコンは、すっかり私を魅了した。
その中でも異彩を放っていたのが、ソロモンの鍵というソフトである。
CS番組でよゐおっさんがプレイしたこともあり、現在ではそこそこメジャーなタイトルだが
当時はあまりメジャーではなく*1、数少ないファミコン経験世代の同級生の中にも、知っているものは皆無だった。
アクションパズルというジャンルだけ見ても、ファミコンというスペックを考えればその完成度の高さを伺える。
普通ならアクションかパズルしかできないソフト群の中で、どちらも体験できるのだ。
しっかり考えて作られた骨太な50ステージからなり、なおかつ頑張れば小学生の頭でも何とかクリアできる。
この難易度が絶妙で、画面をポーズして何度もシミュレーションしたものだ。
祖父は時折、私や姉を連れて「ジャスコ」的なところに連れていってくれた。
ゲームセンターと呼ぶにはあまりにもお粗末なエリアで小銭をせびったり
併設される本屋で小一時間かけて選び抜いた本を買って貰ったりしたものだが
ある日、姉には壮大な計画があった。
「私は今日、ゲームを買う。ゲーム機本体を」
そう言って、姉は祖父に最寄りのゲームショップへと向かうよう、行き先の変更を要求した。
土着の自然神を信仰する少数民族である私と姉の村において、新しい神を迎え入れるに等しい行為だった。
その神が、自宅でのゲームが禁止であったため、祖父母の家に降臨したのは、1997年の年始のことであった。
正確に思い出せるのは、クリスマスナイツが一緒についてきたからである。*2
当時のゲーム情勢を知るものならお分かりだろう、新しい神はセガサターンであった。*3
そして勘の良い人なら分かるはずだ。
「なぜプレイステーションではないのか」
(世間ではFF7発売直前の、最もPSブームが高まっている時代であった)
その理由は直後に買い足されたソフトの中に「ときめきメモリアル」と「KOF」があったことや
姉の自室に「庵×京のやおい本」があったこととは直接的には関係ないはずである。
とにかく私は、姉がゲーム、もとい神を降臨させるべくゲームショップにいる間
非常にそわそわとしながら店内をうろついた。何しろ初めてのゲームショップである。
ゲーム購入を神降臨に例えるほどだ。ソフトを自分で買ったことなどない。
様々なソフトがすでに祖父母宅に用意されていたとはいえ、そこはゲームショップ。
見たこともない名前や、知っているソフトの続編までまだ見ぬ大海の入り口がそこにはあった。そこにあったのだが。
私の視線は見慣れた桟橋のごとき、ひとつのソフトにくぎ付けになった。
「ソロモンの鍵」5500円、買い取り価格4000円
ごせん・・・?
すでに当時のファミコンソフトなんていいとこ500円、クソゲーなんか100円で投げ売りされてた時代のはずだ。
なぜこいつは最先端コンシューマのソフトと同等の価値を持っているのだ。
すげえ、すげえよソロモンの鍵。
それからなぜか触るのもおこがましい気がしてソロモンの鍵をプレイするのをやめた。
新しい神が「一緒に帰って友達に噂とかされると恥ずかしいし」などと言っているあいだ
徐々にその価値を一般的な中古ファミコンソフトと同等のものにしていき
気がつけば100円で売られていた。
なぜあのソフトが5500円もしたのだろうか。
Steamのウィッシュリストを眺めて、買うべきか削除すべきか悩んでいる私に、時折その思い出が去来するのである。
1994年の思い出に寄せて。推しは片桐さん。オーアイシー。