ラストデイズ・オブ・アメリカン・クライム(原題:The Last Days of American Crime)
監督:オリヴィエ・メガトン
監督は『96時間』の続編撮った人ですねー。一見まともに聞こえますけどリュック・ベッソン嫌いな人は嫌いだと思います。(適当な感想)
映画評論の界隈では、かなりの知名度とそれに応じた信頼性を持つRotten Tomatoesですが、本作はそちらで驚異的な点数を叩き出しました。
Rotten Tomatoesでは著名な映画評論家の点数と一般レビュワーの点数を併せて表記することが一般的ですが、前者の評論家点がしっかり0点をマークしていますね。
中には物好きがいたり、出演者のファンが同情点をつけることも珍しくないため、一般レビュワーの点数がそこそこあることは頷けますが、評論家が自らの名前を出してまで0点をつける作品というのは、そう多くありません。
というかある種のネタであったり、社会情勢的に肯定できない内容であることもあり得ますが、本作は普通につまらない。妥当な点数。
(一説には、暴力描写や権力者による一方的な圧力描写が、現在アメリカで行われているデモの発端となった黒人差別を想起させるという見方もあるようですが・・・。やっぱり普通につまらん。)
実際のサイトから気になった一部の評論家レビューを紹介しましょう。
" 今作が犯した唯一の罪は、映画化されたことである。"
"ストーリーも、登場人物も、セリフもどうでもよく、暴力描写が見たいだけならどうぞ。きっとがっかりするでしょう。"
"制作陣は、皮肉にも登場人物たちと同様に、非常に場当たり的だ。"
"物語の前提となる説明に、時間をかけすぎた"
どうでしょう、見終わって読んでみると的を得ていてびっくりしました。そうなんですよ、ストーリーがあまりにも雑で、どうしてこうなった状態になっています。
とは言え、ただ駄作と切り捨てて終わるよりは、なぜこうなったのかを簡単に解説してみます。ダメな映画の例として昇華されれば、存在意義があるってもんです。
はじめに、物語のあらすじから。
近未来。アメリカ政府は犯罪を防ぐため、人間の脳内シナプスを操作し、違法行為を阻止するシグナルを発信する計画を実行に移そうとしていた。
そんな中、経験豊富な犯罪者のブリックは仲間を集めて強盗団を結成、シグナルが発信される前に“アメリカ史上最後の強盗”を行おうとする。
あれ、面白そうじゃない?ケイパームービー大好きな私も思い切り食指が動きましたが、割と導入はいい感じなんですよ。そしてメインキャストもしっかり個性的。
主人公のエドガー・ラミレス演じるブリックさんは、いい感じの髭面タフガイですし、弟想いで才能溢れるギャングスタ。映画『ドミノ』で主人公の女バウンティハンターにベタ惚れの、エスパニョールイケメンを演じていたのが思い出されます。
アメリカンマッスルなマスタングが似合うタフガイ。でも女性と車の扱いは雑。
ギャングスタのリーダーながらも、服役することになった弟を心配したり、街を牛耳るマフィアの顔色を窺ったりと、意外と苦労人。
拷問したりされたりと、血ヘドまみれイケメンが好きな人はもろタイプだと思います。映画冒頭の「探し回ってやっと軽油見つけたよ。コイツはゆっくり燃えるぜ」と言ってぶっかけるシーンはこの映画最大の見せ場だと思います。
対して、彼の相方になるヒロインであるシェルビー(アンナ・ブリュースター)は、ちょっとミスキャストというか、個人的には大外れな女優でした。
登場シーンからしてこれ。透明ビニールのダサいジャケットを脱ぎつつBARに現れ、なんと自分でイイ女ですとナレーションを入れるアホっぷり。
痩せてガリガリの安娼婦っぽいところなんか、某ジョボビッチを彷彿とさせますし、なんだかバッタみたい。勿論、主人公と婚約者の間をピョンピョンと行ったり来たりします。
ちなみに元FBIでMITを卒業しているという肩書を捏造しているスーパーハッカーです。
彼女が主人公ブリックに近づいて、「最後にでっけえ徒花咲かせやしょうぜ」と計画を持ち込むところから、メインストーリーが始まります。
便利だけどウザい。ひっかきまわし役。
そしてシェルビーの婚約者であり、「とにかくデカい強盗したくてたまらないマン」のケヴィンくん。見るからにサイコでキレたら何をするか分からないポジションだが、人を見る目は結構ある。
その正体は、ブリックと対立するマフィアのボスの息子であり、ブリック弟の死の真相を知る囚人仲間でもある。実は陰で「親の七光り」と言われることに嫌気が刺しており、父親と仲の悪いブリックと手を組んででも、最後の日を恰好よく飾りたいと考えている。絵に描いたようなドラ息子だが、実は超キーマンだったりする。
他にもいっぱいいるんですよ。違法行為が完全消滅するから、職にあぶれてしまう優良な警官であるとか、強盗計画に必要でブリックがイチオシする敏腕ドライバーとか
ケヴィンくんのお父さんとか、妹とか、シェルビーの妹とか、マネーロンダリングしてくれる悪いやつとか
これ全部いらない。超クソ。
そもそもが、映画の150分という長尺を作り出したのだって、この一見無意味な登場人物の多さにあるわけで。そりゃ遠隔操作でシナプスをいじって?違法行為ができなくて?この辺の説明が冒頭に入るのは分かりますよ。
説得力を持たせるために主人公が普通の強盗するシーンだって要るし、仲間になるシェルビーとケヴィンのエピソードだって必要です。だけど、あまりにも中盤が中だるみしすぎて、物語の推進力が一気に失われていくんですよ。
~ここからスーパー脚本メソッドタイム~
理想的な映画の尺は、100分程度と言われている。これは人間が映像に集中できる限界でもあり、必要最低限の物語の展開を起こせる枠でもある。
この長さを三分割して起承転結させていけば、大体退屈しないというか、それなりの作品に仕上がる。また、この三幕の比率も1:2:1であることが多く、導入シーンは25分程度、メインは50分程度で収まることが多い。(残り25分くらいでクライマックス。)
必ずしも100分でなければならない、というわけでもないが、この三幕構成だけはしっかり守ったほうがよい。でないととんでもないことになる。
ちなみに名作中の名作、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』は116分という長めの尺でありながら(さらに三部作でありながら)この基本はしっかりと守られ、映画開始からきっかり30分で、マーティが過去にタイムスリップして納屋に突っ込む。
~ここまでスーパー脚本メソッドタイム~
本作は150分という尺なので、導入は40分までに終えるべきだろう。ちなみに40分あたりのシーンがこちら。
急に飛び込んできたアメリカ犯罪史上を賑わせる大きなヤマに、ブリックは警戒しつつも実行に移すことを決める。おちゃらけたケヴィンが「俺がボスだぞ」なんて息巻いていますが、どこか3人はぎこちなく、不穏な空気が漂いつつも物語は本番へ・・・。
悪くない感じに見えますよね?肝心の強盗計画がほぼ白紙なことを除けば。
ブリックはヤマを持ち込まれた側であるにも関わらず、テキトーに現場の観察して「いけるで」とか確信してるし、持ち込んだ側のケヴィンは「で、どうやんの?」とか言ってるし、全然ワクワクしてこない。
ケイパームービーの肝は、その強盗テクニックというか「おお、これならいけそうやんけ!」が何よりの醍醐味であり、計画に障害が現れては次々と解決していくのが王道になっていますが
強盗先の内部の状態も分からない観客は置いてけぼり、挙句、計画に絶対必要なブツも頼りないケヴィンにまかせっきり、そして最終奥義であるシェルビーのスーパーハッキングで大体どうにかなる。
とにかくこの二幕目であるメイン部分が究極的におざなりで、見ている側はあっという間に視聴し続けるための推進力を失っていきます。
作品を継続させていく推進力は、いわば自転車のペダルをこぎ続けるようなもので、速度が落ちるとあっという間に脇道に逸れてしまう。この作品で描きたかったことは何なのか、その辺がぶれぶれで、色んな登場人物が伏線も微妙なまま登場しては消えていきます。
特に推進力の分かりやすい例として展開される「主人公に立ちふさがる障害」ですが、コイツらはとにかくそれを自分で作っちゃう。そんで勝手に「きちー」とか言っちゃう。そもそもAPI(米国平和計画。クソダサネーミング。)発動まで時間が刻一刻と迫るにも関わらず、割とのんびりする主人公たちであるとか
金庫開けるための訳わからん戦車砲弾をケヴィンの親父がコレクションしてるとかで、なぜかいがみあうブリックを連れ立って正面から乗り込んじゃったりする。
この砲弾回収ミッションが本作一番の見せ場アクションシーンとなっており、確かに演出単体で観れば二番煎じ感は否めないとはいえ、悪くない出来になってるものの
「お前10億ドル盗もうって日に、ギリギリになって超危ない橋渡るとかアホじゃねーの?ていうか事前にこっそり盗むなりパパにねだって譲ってもらえや」となるわけで。
そんなことだから、当然のようにブリックは計画実行直前なのにマフィアに復讐されたり、シェルビーは人質として拉致されたりする。これ全部いらない。ちなみにケヴィンは腹を撃たれてピンピンしている。
さらに、この展開の何が最悪って、ケヴィンのお家騒動でもあるわけで、観客がケヴィンの方に感情移入してしまう仕組みになっている。描く順序が完全に逆なんだ。
主人公であるブリックのエピソードは、長尺のせいで1時間も前にやってるもんだから、主人公なのに置いてけぼり。復讐だけされに行ってる。
無駄な登場人物である優良警官も、推進力として障害になるが、なぜかシェルビーに襲い掛かる。マジでこの映画誰が主人公なん?
上映時間の長さであるとか、三分割された構成であるとか、そういうフォーマットは、映画館で上映することを前提としているからこその「制約」とも言えるわけだが
Netflixはこの「制約」にとらわれずに済む、というメリットがありながらも、フォーマットから得られる観客のコントロールを完全に失っている。
社会の顔色を窺って、ポリコレ色の強い作品が批判されることも多いNetflixだが、むしろ作品がつまらない原因の多くはこの「配信だから許される自由さ」にあるのではないかと思う。
優れた娯楽は、制約に抗うための工夫から生まれるのではなかろうか。さながら禁じられた恋愛がよりいっそう燃え上がるかのように。ごめんなさい言ってみたかっただけです。
二幕から三幕への転換点、ラスト40分で一気に伏線回収をはかる場面。ここまで実に1時間50分かかっている。
無事に10億ドルを強奪し、トラックに積み替えてカナダまで高跳びやで~というシーンである。ここでケヴィンがとある告白を行うことで、回収しきれていなかった無駄な伏線の登場人物も参加する。
そもそも一幕で40分もかけて世界観や設定の説明を行っていたにも関わらず、どうも腑に落ちない点があったんですよね。嫌な予感はしてましたが、近未来SFとして目をつぶっていた。
脳のシナプスに働きかけるって何・・・?ていうか違法行為の定義って何・・・?スーパーハッカーのくせにシェルビー役立たずすぎん?
API発動中には、何ができて何ができないのか。分からないからただ主人公が頭抑えてるのを観客は眺めるしかない。
API発動の本当にギリギリで計画実行しなければいけない理由って何?もっと早く実行してもいいし、シェルビーがいるなら最悪API発動後でもいけるんちゃうん?
ケヴィンくんの犯行動機は「親父を超えたいから」なことに偽りはなさそうだけど、相方がブリックでないといけない理由付けも弱い。
「ふーん」程度のどんでん返しがこの映画にはあるけれど、それって150分もかけて描くようなネタだったのだろうか。
もっと低予算で、もっと短い時間で、鳥肌が立つような鋭い三幕目への転換を私は知っている。そういった意味では、実に冗長的で、映画化する意味があったのか非常に疑問な作品になっている。
あとエンディングはごく普通のハッピーエンドなんですが、胸糞悪いです。
『レオン』のナタリー・ポートマンに土下座して謝ったほうがいいです。