仕事のはなし
お題箱からいくつお題をもらっても、ブログは1日1個しか書かないと決めた。
しかしお題を貰えないので、結局普通にブログを書くはめになる。貴様謀ったな。
odaibako.netお題をよこせ。以下普通の日記。
一体誰だったのか忘れてしまったけれども。
元VdAでたまにしかBTSに来ない人。恐らくたかしちゃん。
「かぼすの書いた本読むから買わせろ」と言われたのだが
5000円以上もする宗教哲学の本を読んでも人生にとって1mmもプラスにならないので、お勧めしない。
amazonはすごい。専門書の中でも、誰もお金を出して買わないようなものから
出した本人すら手元に残ってなさそうな本まで、大抵在庫がある。
神保町にしか存在しなさそうな本でも、よほど古い絶版でない限り買えてしまうのだ。
紙の本は淘汰されると言われて久しいこの21世紀において、むしろ紙の本が手に入れやすい時代なのだから恐ろしい。
最近は本になる文章をとんと書いていない。*1
雑誌に載せたコラムなんかは(ぶつ切りとはいえ)10年近く続いているので、書籍化すれば結構な量になるのだろう。
自分の手元にすら残っていない原稿をどう書籍化するのか教えてほしいものだが。*2
末端のフリーを続けていると、創作意欲と言われるようなものは失せてしまうのだろうか。
書きたいと思った文章なんか、最近はない。面白かったゲームのSteamレビューくらいのものだ。
逆に母親の創作意欲たるや、凄まじいものがある。
私が中学生の時などは、子育てなど二の次、家事など三の次で
意気揚々と取材や講演に出かけては、作家活動をしていたものだが
さらに去年から立て続けに紙芝居やら絵本を出版している。一族の印税収入トップだ。
文章を稼業とする家系は、私の曽祖父からはじまる。
戦前にそこそこ有名な物書きだった曽祖父は、全国を渡り歩いていた。宗教哲学が専門であったらしい。
教師をしていた曽祖母との間に生まれた長男、私の祖父は脚本家になった。
児童文学や舞台演劇などを手掛けつつ、なぜか最後は職業安定所の所長に。
その立場から企業の広報誌などにも寄稿していたようだ。
職安に勤める祖父の後ろ盾を得て、祖母は縫製工場を立ち上げた。
父は繊維業界誌を手掛ける一方、工場の二代目に。
そうして生まれたのが、宗教哲学を専攻し、脚本をちょっといじりつつ
業界紙にコラムを寄稿して糊口をしのぐ私なのである。
親のコネで食う飯は美味いか。ああ格別だな。
自分で手掛けた脚本で映画を撮りたいみたいな願望はすでにもうない。
やっぱり映画は他人が作ったのを見てああだこうだ言うのが楽しいやな。
やっと日本でもスクリプトドクターなる職業が市民権を得てきた。
金も時間も人材も贅沢に使える時代になったと言うべきか
コストをかけないと視聴に耐えないほどハードルが上がったと言うべきか。
先人の知恵を借りつつ、自分で構築した公式に従い、物事を最適化していく作業はたまらないものがある。
デフラグしている画面を眺めて、ハードディスクが綺麗になっていく様を実感するのに似ている。
逆に嘱託とはいえ、正式に雇われて紙面を作るのはどうしても好きになれなかった。
1年と2か月ほどやっただろうか。制約と重圧が強すぎて、苦労が絶えない。
今月の頭に退職届をつきつけてやった。社交辞令の引き止めがうざい。
使われるのが性に合わないのだろうか。上から目線でぬるま湯に浸かることに慣れすぎたかもしれない。
人の上に立つを得ず、人の下に就くを得ず、路辺に倒るるに適すというやつか。
こんな自分でも嫁をとれるというのだから不思議なものだ。
ちなみに嫁(になる予定)の職業は脚本の翻訳家(の予定)だ。
アフタースクールのハリウッドリメイクを作ってほしい。