映画の吹き替え問題

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特定の俳優や配給会社を貶める意図はないことを明記しておく。(無用な業界向けアピール)

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この画像にも何ら恣意的な意図はありません。

 

話題作りのために映画の吹き替えを有名俳優やアイドルにやらせることはままあるが、大抵の場合総スカンを食らう。にも関わらず業界はそのやり方を変えるつもりはないのだが、それもそのはずで目的は別のところにあるものだ。

よくアニメや漫画の実写化も批判を受けることがあるが、制作側はそんなこと知ったことではない。世の中には「アニメである」というだけで物語として一段も二段も下に見たり、視聴する気になれない(感情移入できない)人というのが存在するし、逆に実写であるというだけで、先入観なく見られる人というのも存在する。業界はそういう「本来なら視聴しない客層」に向けているので、原作ファンやアニメ好きからの意見はそもそも考慮していない。

洋画の吹き替えでも同じことが言え、とにかく興行収入が増えれば何でも良いのだ。世の中には15文字を6秒かけて読んだり理解することができない人というのが存在するし、音声が外国語というだけで感情移入できない(内容を理解できない)人というのが結構な数いる。後者は何となく理解できる。フランス語は聞いているだけで眠くなるし、韓国語は聞くに堪えない。日本語は聞き取りづらいし、中東になるともはや言語というより呪文だ。

しかしながら、オリジナルの音声というのは俳優の持つ立派な能力であり、セリフは脚本家が作ったものにせよ、発しているのは俳優自身だ。キャスティングの過程で声質が判断基準になることも珍しくなく、重大なキャラクター属性やトリックに関わってくることもある。実際に撮影していく過程で、セリフのちょっとした抑揚ひとつで撮り直しになることも多い。それだけ演技における声、話し方というものは重要なのだ。

では、なぜ演技力が決して劣っているわけではない俳優が吹き替えを行うと違和感が生まれてしまうのか?理由は様々ある。アイドルや歌手などのそもそも演技力が無い人は言うに及ばないが、俳優の中にも色々ある。舞台出身か出演は主にドラマか映画か、声だけの仕事経験の有無など。

演技力は確か(であるはず)なのに吹き替えとして微妙とされる俳優の大半は「ドラマ俳優」であることが多い。日本のドラマは見る者の能力を問わない。良く言えば分かりやすく、即物的な娯楽だ。悪く言えば視聴者を舐めているし、考証に関しても雑でドラマ性が最優先される。予算などの制限もキツい。

そうした中で求められる演技力というのは、人物を表現する細やかな仕草などではない。カメラワークで何とでもなるからだ。感情を表現する抑揚なども必要ない。音声は完璧に編集され、台詞で描写がなされる。これが舞台ならばそうはいかないので、自然と声の持つ比重が大きくなるが、ドラマではその素地は育たない(必要ない)だろう。

優れた俳優というのは、あらゆる小技を使う。瞬き、目線、脚本に明文化されない間、発せられない声。つまるところ受け手が得る情報量の数がとんでもなく多い。勿論それは作品の本質を阻害せず、調整できることが望ましい。

同様に優れた声優も、音声だけという限られた媒体にあらゆる小技でもって情報量を増やしている。それは人間の持つ能力故だろう。「目は口ほどに物を言う」などと言われるが、目に限らず人間は自然と他人の感情や思いを推しはかろうと、読み取る努力をする生き物だ。表情や動きが読み取れない声だけならば尚更だ。

結局のところ、話題になるほどの俳優であるほど知名度が高く即物的なドラマ俳優であることが多く、その知名度が故に先入観が余計な情報となって作品の視聴を阻害することが往々にしてある。

 

映画とは、自分とは違う人間の人生を見るものだ。そしてその制作には多くの人間の努力が詰まっている。作品に真摯に向き合うのであれば、また作品を最大限に楽しんで視聴したいのであれば、初見くらいはオリジナルの音声で視聴することをお勧めする。

何度も見た懐かしい海外ドラマや映画を往年の声優で見るのも、また一興なのだけどね。

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懐かしのテレ朝版ダイハード。ナチ・ノザワ